チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2013年6月21日

1985年チベット旅行記 最終回「廃墟、銃口、解放」

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a89671a6廃墟のガンデン僧院

チベット3大僧院の1つであるガンデン僧院はラサの東数十キロの丘の上にある。朝方ラサから巡礼用のトラックが出ていた。数時間ではあるが、トラックのむき出しの荷台に乗っていると舗装されていない道から舞い上がる土埃により全身真っ白になるのだった。つづら折りの坂道を登り詰めると、そこには巨大な廃墟が広がっていた。1959年に破壊されたはずであったが、私にはそこはまるで2千年前に火山により破壊された古代都市ポンペイを思い出させ、遥か昔に破壊された都市遺跡のように見えた。ここほど、中国解放軍の侵略による破壊を象徴している場所は他になかった。僅かに残された僧院の石壁が、生い茂るイラクサの中から、チベット人の無念を語っていた。

ここはチベット仏教最大宗派であるゲルク派の祖師ジェ・ツォンカパが15世紀始めに創建した僧院であり、嘗て5000人の僧侶が学んでいたというチベット随一の仏教大学の1つであった。それがわずか百人程度の僧侶が再建のために働くのみの僧院と化していた。それでも文革中にはまったく閉鎖されていた僧院が、80年代に入りやっと再建が許され、再び僧侶が集まり始めていたところであった。その僧侶たちは私が訪れた2年後にラサで大規模な抗議デモを先導し、多くが逮捕され投獄された。最近、中国当局はこの廃墟が破壊の爪跡を象徴し過ぎているという理由で、残されていた壁を完全に取払い証拠隠滅を行った。

travel_photo07サムイェ僧院

ラサに数週間滞在した後、南にあるサムイェ僧院を訪れることにした。その頃はまだサムイェは解放されておらず、ここを訪れるには隠れて行くしかなかった。それでも、8世紀にティソンデツェン王により創建され、インドから学僧シャーンタラクシタが招かれ、本格的な仏教教育が始まったサムイェはその特異な建築デザインとともに是非とも訪れねばならない場所であった。結局実現はされなかったが、私が日本で設計を依頼されていた日本初のチベット僧院の名前もサムイェ僧院と名付けられていた。サムイェ僧院は全体がその当時のインド仏教の宇宙観に従い、須弥山を中心としたマンダラ世界を模して造られていた。

ラサをトラックで出発し、分岐点であるヤルツァンポ川に架かる橋の手前チュシュルで下ろしてもらった。そこから長い橋を渡り対岸に行かなければならない。橋の両側には検問所があった。止められるかも知れないと思いながらも思い切って歩き始めた。検問所では止められなかった。しかし、その後、私のすぐ後ろから1人の兵隊がライフル銃を私に向けたまま、ついて来るのに気付いた。気付いたが後ろを振り向く訳にはいかないと思われた。何か不審な動きを見せると撃たれそうな気配を感じた。仕方なくそのまま歩き続けた。その内、私は「そうか、自分が背負っている荷物を入れたずだ袋が爆弾に見えるのかも知れない」と思えた。

私は一生でその時ほど緊張したことがないと思えるほど緊張していた。本気で撃たれそうに感じた。それでも、前に歩き続けたがその百メートルほどの橋が気が遠くなるほどに長いものに感じられた。やっと対岸に辿り着いた。しかし、その兵隊はまだ私に銃の先を向けたままであった。私は走り出したい気持ちを押さえながら普通の足取りで対岸の道をサムイェの方向に辿った。兵隊はもう追って来なかった。その先の山の端を過ぎ道がカーブしているところまで来て、私は全速力で駆け出し、山の陰に隠れた。今、思い出しても恐ろしい経験であった。途中で走り出せば撃たれていたかも知れない。

落ち着いた後、再び車をヒッチしサムエの対岸の船着き場で下りた。巡礼のチベット人たちと共に川をボートで渡る。彼らは私に真っ黒なヤクの干し肉を渡し、食えという。如何にも不潔そうで到底食う気にはなれない代物だったが、笑顔で食べることにした。その辺りのヤルツァンポ川は川幅が広がり至る所に砂州ができていて非常に美しかった。対岸には砂丘のような場所もあった。その当時のサムイェ僧院はまだ荒れ果てており、境内の寺が普通の民家に転用されていたりした。本堂も荒れ果てたままであったが、それでも所々の壁には古い時代の壁画が残り、仏像も何体か残っていた。夕方になり寝床を見つけなければならなかったが宿に泊まるのはまずいと思われた。近くの丘に上り眺めのよい場所に岩屋を見つけたのでそこで寝ることにした。昔から野宿には慣れていた。その夜は満天の星空を眺めながら心地よく眠ることができた。

ネパールに抜ける

再びラサに戻った。ラサのホテルにはカイラス行きのトラックやネパール行きのバスへの同乗者を募る張り紙が何枚か張られていた。その頃は旅行代理店のようなものもなく、いや少しはあったのであろうが、バックパッカー旅行者はそんなものに頼らず、自分たちで人数を集めトラックやバスをチャーターして移動していたのだ。時間が許せば行けなかったカイラスに行きたかったが、予定していた旅行期間も終わりに近づいていたので、そのままネパールに抜けることに決めた。スペイン人が中心になり集めていたバスに便乗し、ラサを発ち、ギャンツェとシガツェを経由し、5日かけてネパール国境に辿り着いた。途中の景色はどこも忘れ難いほどに素晴らしいものであった。

国境を抜けてネパール側に入ると、突然何とも言えない自由な気分になった。もう、誰にも監視される恐れはないのだという開放感が心の底から湧き上がった。それまで、中国にいる間中、緊張していたことに気付いた。色鮮やかなサリーを着た女性たちの姿が目に入った。その時長い間女性というものを全く意識していなかったことに気付いた。バスに同乗し、友人になっていた数人のスペイン人の男も同じような感覚をもったようだった。「あれを見ろ、女がいるぞ!赤いサリーを着てる。女はああじゃないとな。かわいいな。今夜はパーティーだぞ!女を呼ぼう」と言い出した。国境を越えたところにあるタトパニという小さな温泉町に着いた後、彼らは本当に若いチベット系の女性たちを集めパーティーを始めた。温泉で中国の垢をすっかり落とした後、私も呼ばれて、久しぶりに歌え踊れの一夜となった。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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