チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2013年6月10日

ウーセル・ブログ:ラサ旧市街の状況について「人民日報」へ返答する

Pocket

ウーセルさんは5月7日に「私たちのラサがもうすぐ壊されます!ラサを救ってください!」と題し、ラサ旧市街の危機的状況を訴えるコラムを書かれた。(日本語訳>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51789067.html

このコラムの反響は大きく世界的な「ラサを守ろう」というキャンペーンが始まった。この反響の大きさに慌てたのか中国当局はウーセルさんのコラムに対する反論記事を5月13日付け「人民日報」に掲載した。そして、ウーセルさんはこの記事に対する反論を5月18日付けブログで発表された。

以下はそのウーセルさんの反論である。

原文:http://woeser.middle-way.net/2013/05/blog-post_18.html
翻訳:@yuntaitaiさん

RMRB20130513B004_b

2013念5月13日付の「人民日報」4面に掲載された「ラサ旧市街の『大規模な取り壊しと再開発』は事実ではない」という記事。

◎ラサ旧市街の状況について「人民日報」へ返答する

「人民日報」は5月13日、「ラサ旧市街の『大規模な取り壊しと再開発』は事実ではない」という記事を「証拠を求める――騒動の背後の真相を尋ねて」欄に載せたhttp://paper.people.com.cn/rmrb/html/2013-05/13/nw.D110000renmrb_20130513_1-04.htm)。

記事の書き出しはこうだ。「5月4日、『私たちのラサがもうすぐ壊されます!ラサを救ってください!』という微博の投稿があった。『大規模な取り壊しと再開発』の写真を添付し、ラサ旧市街が行き過ぎた商業開発に遭っていると批判した」。人民日報よ、それは私の微博だ。名前を出してもらいたい。

_16「私たちのラサがもうすぐ壊されます!ラサを救ってください!」を長微博(長文投稿のための微博関連サービス)で投稿したのは、5月5日午前1時9分だ。午前11時45分に閲覧を禁止されるまで、計52万3000回読まれ、2243回リツイートされ、309件のコメントが付いた。その後も微博の友人たちが私の長微博を転載したが、削除された。ラサが破壊されずに「保護」されているのなら、旧市街再開発に関する微博がなぜ全て削除されたのだろう?

ラサで古い建築物や水資源が破壊され、行き過ぎた商業化が進められていることについて、人民日報は平気で疑問を投げかける。ラサ旧市街でいわゆる保護を受けている古い建物は、どれも「蔵漂」(漢人などのチベット旅行者)のホテルになった。ラサ河上流は長年にわたる鉱山開発で水源が汚染された。今では流れがせき止められ、人為的な景観がつくり出されている。これでもラサの商業化は足りないと言うのか?それはラサに行けばすぐに分かることだ。

しかし、ラサ旧市街の工事について、人民日報が「保護修繕」だと強調したことは歓迎したい。これは現地の官民に拘束力や警告作用を持つかもしれない。古いものを古いままに修復し、元々の住民を移転させないという約束の実現を促すかもしれない。では、「保護工事」が終われば、ラサ郊外に移転させられた住民は以前の居住地に戻れるのだろうか?

人民日報がデマを飛ばしていることに気がついた。私の微博やブログでは、「バルコル商城」がバルコルに建てられるとは一言も書いていない。「バルコルを取り壊す」とも書いていない。私はこう書いた。「建設地は城関区政府跡地で、ジョカン周囲の巡礼路バルコルの北東。バルコルからはとても近く、同じように旧市街の中にある」

人民日報はツイッターを始めないのだろうか?これまでに分かっている状況を彼らに教えてあげたい。ラサ旧市街はいくつかのブロックに分けられる。旧市街の中心、つまりジョカンを取り巻くバルコルは徹底的に片付けられ、全ての露店(2600以上)は新築の「バルコル商城」内に移転させられる。バルコル沿いの住民はラサ市西部のトゥールン・デチェン県に引っ越しさせられる。速やかに移った世帯は2~3万元の補助金を受け取れるが、引っ越さなければ政治問題になる。空になった住宅には業者を誘致し、商店やホテル、バー、画廊、展覧館などを設ける。旧市街のほかの路地や僧院のうち、例えばラモチェ前では大きな広場が整備され、周辺の住民は同じように郊外へと移転させられる。旧市街北東の城関区政府跡地は「バルコル商城」になる(延べ床面積は15万平方メートルで、地下駐車場だけで1117台分ある)。

人民日報はまた、「ポタラ宮の1日の受け入れ能力は約2600人だ」として、ポタラ宮を例に取り、ラサの商業化は極端には進んでいないと説明する。だが2003年には、(見学者数は)1日850人を超えてはならない、さもなくば土や木、石で造られたポタラ宮の破壊を招くとポタラ宮管理所が認めていた。実際、ポタラ宮の見学者数が1日2600人というのは全く事実ではない。昨年、チベットへの観光客数は延べ1000万人を超えた。まさかポタラ宮に行くのは1年間でたったの100万人だとでも言うのか?

都市は常に建設のさなかにある。都市は常に改造のさなかにある。この都市に暮らす人がよく知っているのは、クレーンや各種の機械と掘られた路面、舞い上がる土ぼこり、とどろく騒音だ。絶えずつくり直されているのだから、勢い良く発展しているように見える。しかし、そこに含まれる意味は逆だ。この都市は絶えず失っている。絶え間なく続く美容整形のなかで、既に本来の姿を失ってしまっている。

ラサ市街には10基の歩道橋が造られ(巡礼路のリンコルで既に5基が完成した)、ラサ河には4基のダムが造られる。チベット文化のなかで特別な意味を持つ聖湖ラモラツォは、観光開発でゲートや遊歩道、親水デッキが造られる。ンガリの聖山カン・リンポチェ(カイラス)は入場料690元を徴収される。グゲ王国の遺跡も開発された。チベット全土で企業や各地の政府が狂ったように土地を囲い込み、カネをせしめる。これでも行き過ぎではないのか!?

ラモラツォはチベット文化で特殊な精神的意味を持つ。護法神パンデン・ラモの魂の湖とされ、歴代ダライ・ラマの転生者も訪れる。巡礼時に騒いではならず、石一つ、草1本動かしてはいけないというタブーがあり、チベットの伝統では極めて大きな畏敬の念を抱かれている。だが、今では大きなゲートやチケット売り場、遊歩道、親水デッキ、展望台、駐車場、公衆トイレなどを造り、無数の観光客を呼びこもうとしている。これが破壊でなくて何なのか?

ラサの巡礼路リンコルに歩道橋を造るのは最も人道に反している。コルラする人たちの多くは脚の悪いお年寄りや、ラサまで五体投地で来た巡礼者だと知っておかなければならない。歩道橋には上り下りする階段がある。どうすればお年寄りが快適に歩けるのだろう?いわゆるスロープで、どうすれば五体投地ができるのだろう?政府がもし本当に「民衆本位」を実現するのなら、なぜ車を迂回させないのだろう?なぜ巡礼者に道を歩かせないのだろう?

5月10日からはチベット暦4月のサカダワで、ラサの信徒は皆コルラし、仏を拝む。ラサで最長の巡礼路リンコルには、1年もたたないうちに5基の歩道橋ができた。当局は本当におかしい。道をわざと渋滞させ、コルラ中の人々が歩道橋を上り下りするしかないように仕向けている。その多くは脚の不自由なお年寄りで、言葉にできないほど苦しんでいる。これこそがラサで毎日起きていることだ。

さまざまな名義による開発はもう狂気じみた段階にまで来ている。経済を発展させるという名目で鉱物資源が採掘され、河には水力発電所が造られる。聖山聖湖は観光開発され、チベット全土の地方政府や企業が次々と土地と水を囲い込む。「開発に反対しよう。こうした開発は人類の精神に反している」と言われている通りだ。

みるみるうちにバルコル周辺で無数の古い住宅が取り壊された。残された古い住宅は次々とホテルに改造され、中国各地から人生を楽しみに来た「蔵漂」たちの花園に変わっていった。ラサ旧市街とカシュガルはなんと似通っていることか。良き友人でウイグル人知識分子のイリハムは以前、「チベットが新疆化するスピードはとても速い」と私に言った。これはまさに事実だった。

2003年の秋、私たちはカシュガルに行った。あそこはカシともいうが、ウイグル人はみなカシュガルと呼ぶ。私たちは旧市街に長く滞在し、ウイグル人の文化の細部や日常生活に感銘を受けた。その時、私が絶えず思い起こしていたのはラサのバルコルだった。二つの旧市街は本質的に似ていた。カシュガルの旧市街が取り壊され、いわゆる「現代的」な新市街が建てられた時、同病相憐れむように私が連想したのはラサ旧市街の運命だった。

人民日報は平気でポタラ宮を取り上げるが、ポタラ宮の破壊は止まったことがないと知るべきだ。54年前、ポタラ宮の前は草木がうっそうと茂った園林だった。ダライ・ラマが休息した法座があったため、「シュクティ」(チベット語で「玉座」の意)と呼ばれていた。法王が亡命せざるを得なくなった後、ここの樹木は伐採されて更地になり、占領者の権力の中心地になった。つまり、自治区党委と政府庁舎だ。四方は赤い壁で囲まれ、中南海に似ている。

中国各地の権力者は北京中心のあの一角を模倣するのが好きだ。あそこから出される最高レベルの指示は何億という人たちの運命を変えられるからだ。そして、赤い壁だけではまだ足りない。例えば、天安門の前には「労働人民文化宮」が建っており、中国各地でも次々と真似された。ポタラ宮の前にも「労働人民文化宮」が建てられた。これは1960年代という最も早い時期の「援蔵」(中国の都市や企業などによるチベット支援事業)建築物だ。

国連教育科学文化機関(ユネスコ)は1994年、ポタラ宮を世界遺産リストに登録した。だが1996年、ポタラ宮の前で数百年続いてきたショル村(役人や職人たちが住んでいた村)が移転させられた。同時に、中国各地と全く変わらない、専制の威力を見せつける広場が造られ、ショル村を失ったポタラ宮に致命的に欠けているものをはっきりと浮かび上がらせた。1997年、ポタラ宮広場の西にあった「労働人民文化宮」はディスコに改装された。

2000年と2001年には、「ポタラ宮の歴史的遺跡群」としてジョカンとノルブリンカを追加登録した。宗教と歴史、人文的な価値のある聖地を世界文化遺産にし、建前上は当然の保護を受けられるようにした。だが2002年には、砲弾のような形の「チベット和平解放記念碑」がポタラ宮と向き合って広場に建てられ、チベット人の心に深々と突き刺さった。

2005年にポタラ宮広場が拡張された時、「労働人民文化宮」を前身とするディスコは取り壊された。ポタラ宮広場は完全に天安門広場の模倣品になった。五星紅旗が翻る国旗掲揚台や「チベット和平解放記念碑」がある。両側には地下道も造られた。社会主義体制の下で暮らしたチェコの作家イヴァン・クリーマが自国の広場を評したように、「敬愛の念とその逆の感情(後者はよく見られた)のどちらを抱いていたかにかかわらず、目の前の統治者に忠誠を誓う式典がここで何度も開かれた。利益と恐怖とどちらの動機だったかにかかわらず、たくさんの人々がここに来て忠誠を示した」のだった。

ある年の7月1日、振る舞いや服装に少しの乱れもない役人たちが国旗掲揚の儀式を開いた。その時、小柄でやせた老尼がゆっくりと歩いてきて、ポタラ宮に向かって静かに祈りをささげた。隣で拳を振り上げ、共産党旗に宣誓する大勢の軍警を全く気にせず、彼女はささげるような手の形をつくり、額まで持ち上げ、ブッダや法王、衆生への誓いを示していた。

ポタラ宮広場はポタラ宮の足下まで延びている。権力者はショル村の住民を移住させたが、雪巴列空(ショルなどを管轄していた行政機構の事務所)やショル監獄、ショル造幣所といった過去のチベット政府機関と貴族の邸宅をわざと残した。これらは「ショル城」と呼ばれて「愛国主義教育の重要基地」になった。新しく設けられた「宝物館」の全ての展示品には、「チベットは古来より偉大なる祖国の分割できない一部」との説明がある。

ポタラ宮は天安門とは全く違う。ところが、ポタラ宮を天安門に変え、更に記念碑や国旗掲揚台、地下道付きの広場を無理やり押し付けてしまった。これは宗教的なポタラ宮を植民地的な政治の場に改造しようという意図の表れだ。そして、ここで代々暮らしてきた民衆が精神的に追い求めるものは、現代化を名目として無視される。これは単なる文化の破壊よりもはるかに深刻だ。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

ちべろぐ

Archives

  • 2018年3月 (3)
  • 2017年12月 (2)
  • 2017年11月 (1)
  • 2017年7月 (2)
  • 2017年5月 (4)
  • 2017年4月 (1)
  • 2017年3月 (1)
  • 2016年12月 (2)
  • 2016年7月 (1)
  • 2016年6月 (1)
  • 2016年5月 (9)
  • 2016年3月 (1)
  • 2015年11月 (1)
  • 2015年10月 (2)
  • 2015年9月 (4)
  • 2015年8月 (2)
  • 2015年7月 (14)
  • 2015年6月 (2)
  • 2015年5月 (4)
  • 2015年4月 (5)
  • 2015年3月 (5)
  • 2015年2月 (2)
  • 2015年1月 (2)
  • 2014年12月 (12)
  • 2014年11月 (5)
  • 2014年10月 (10)
  • 2014年9月 (10)
  • 2014年8月 (3)
  • 2014年7月 (9)
  • 2014年6月 (11)
  • 2014年5月 (7)
  • 2014年4月 (21)
  • 2014年3月 (21)
  • 2014年2月 (18)
  • 2014年1月 (18)
  • 2013年12月 (20)
  • 2013年11月 (18)
  • 2013年10月 (26)
  • 2013年9月 (20)
  • 2013年8月 (17)
  • 2013年7月 (29)
  • 2013年6月 (29)
  • 2013年5月 (29)
  • 2013年4月 (29)
  • 2013年3月 (33)
  • 2013年2月 (30)
  • 2013年1月 (28)
  • 2012年12月 (37)
  • 2012年11月 (48)
  • 2012年10月 (32)
  • 2012年9月 (30)
  • 2012年8月 (38)
  • 2012年7月 (26)
  • 2012年6月 (27)
  • 2012年5月 (18)
  • 2012年4月 (28)
  • 2012年3月 (40)
  • 2012年2月 (35)
  • 2012年1月 (34)
  • 2011年12月 (24)
  • 2011年11月 (34)
  • 2011年10月 (32)
  • 2011年9月 (30)
  • 2011年8月 (31)
  • 2011年7月 (22)
  • 2011年6月 (28)
  • 2011年5月 (30)
  • 2011年4月 (27)
  • 2011年3月 (31)
  • 2011年2月 (29)
  • 2011年1月 (27)
  • 2010年12月 (26)
  • 2010年11月 (22)
  • 2010年10月 (37)
  • 2010年9月 (21)
  • 2010年8月 (23)
  • 2010年7月 (27)
  • 2010年6月 (24)
  • 2010年5月 (44)
  • 2010年4月 (34)
  • 2010年3月 (25)
  • 2010年2月 (5)
  • 2010年1月 (20)
  • 2009年12月 (25)
  • 2009年11月 (23)
  • 2009年10月 (35)
  • 2009年9月 (32)
  • 2009年8月 (26)
  • 2009年7月 (26)
  • 2009年6月 (19)
  • 2009年5月 (54)
  • 2009年4月 (52)
  • 2009年3月 (42)
  • 2009年2月 (14)
  • 2009年1月 (26)
  • 2008年12月 (33)
  • 2008年11月 (31)
  • 2008年10月 (25)
  • 2008年9月 (24)
  • 2008年8月 (24)
  • 2008年7月 (36)
  • 2008年6月 (59)
  • 2008年5月 (77)
  • 2008年4月 (59)
  • 2008年3月 (12)