チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2013年5月10日
獄中にあるチベット人作家テウランのエッセイ「彼らは我々を動物のように扱う」
テウラン。
チベット人作家タシ・ラプテン(筆名テウラン)は2009年7月26日にゾゲで突然拘束され、その後およそ2年後2011年6月2日に4年の刑を言い渡された。逮捕された時、彼はまだ蘭州西北民族学院の学生であった。彼は発禁となった雑誌「シャル・ドゥン・リ(ཤར་དུང་རི་東方のホラ貝の丘)」の編集者の1人であり、また短編集「血書༼ ཁྲག་ཡིག ༽」の著者でもある。この雑誌に関わった作家の多くが刑期を受けている。詳しくは:http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51670321.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51258282.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51252956.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51509758.html
彼が在学中に発表したあるエッセイをTCHRDが7日付けで英訳していた。このチベット語原文を手に入れたので、以下訳してみた。
彼は故郷の遊牧地帯に大勢の中国人観光客が押しよせ、我が物顔に振る舞い、なんの遠慮もなくチベット人を物珍しい動物のように撮影することに耐え難い屈辱を感じる。また、そのような中国人観光客に金目当てで群がる哀れなチベット人の姿を見て悲しみ、同胞に対しチベット人としての尊厳を保つことを訴える。植民地化されたチベットの、若者たちの心情をとても良く表していると思われる。
彼らは我々を動物のように扱う
テウラン
夏の間、私の故郷は中国人観光客で溢れる。あまりに多くてチベットのお年寄りたちが僧院をコルラ(右繞)するのも難しいぐらいだ。僧衣で頭を覆いながら、僧侶や尼僧は観光客のそばで驚いたように口をぽかんと開け立ちすくむ。このようなシーンを見る時、彼らのことを考える時、私は激しい苦痛と絶望を感じる。心に怒りと敵意が沸き立つ。今、圧倒的な数の外人の靴の下で、私の故郷は衰退と堕落に苦しめられている。
蟻塚から放たれた蟻の大群のように、これら増大する観光客は我々の土地の上に永住する準備をしている。私を笑わせると同時に泣かせるのは、現金に釣られた大勢のチベット人たちが彼らの前で笑顔を振りまくのを見る時だ。遊牧民部落のリーダーでさえ彼らに土地を売る契約書にサインしたのだ。2、3年後には、観光客だと言っている訪問客たちが我々の土地に永住し始めることであろう。
観光客の車が到着すると、ただちに赤い頬したチベット人女性とはな垂れ小僧が馬で駆けよる。息切らせながら、目には絶望を宿し、彼らは中国人観光客を馬に乗せ、山を登る。50元札を手に持ち、顔中に微笑みを描き、他の観光客がやって来るのを待ちながら時間を過ごす。そんな彼らの姿を見る時、嘗て世界の3分の2の領土(吐蕃時代の話であり、その頃のチベット人の世界観からくる世界)を征服した民族が、どのようにして今や他の人々にサービスするだけの魂のない奴隷と化したのであろうか。愛する同胞たちよ、先祖の骨に金を塗る事ができないにしても、少なくとも彼らの白髪を風とともに投げ捨てないようにしようではないか。
周辺の地域からやって来る観光客は手に様々なサイズのカメラを持っている。僧侶たちや年配の人々、馬を運ぶ人々は観光客たちが遊牧村や河の写真を撮ってるのを呆然と眺める。観光客の1人がこれらの異様な目つきのチベット人たちにカメラを向け撮影する。これを見る時、私は「この観光客が彼の土地に帰った時、どこでこれらの写真を見せるのだろう?どのようなキャプションを付けるのであろう?」と考える。そして、そう考えるとき強い苦しみと絶望を味わう。
なぜ、観光客たちは年配のチベット人の顔にカメラを向け、撮影したのであろう?これらの観光客は倫理や道徳の感覚を持ち合わせないのであろうか?もしも、我々が辺りを見回し、彼らの顔にカメラを向けて写真を撮ったならば、彼らは「自分たちの権利を犯している」と言いながら走り去らないであろうか?実際には彼らは、その行為が倫理道徳に反することを知りながらも、我々の同胞と、我々の山々と村々の写真を撮り続けているのだ。
これは我々の地位を明白に示している。彼らは我々を話すことができない動物のように扱う。彼らは我々を現金の力でどのような方向へも動かす事ができる賃金労働者のように扱う。彼らは我々を無知な野蛮人のように扱う。私の愛する同胞たちよ、諺にもあるように「もしも、息子が祖先の遺産を相続することに失敗し、針の遺産を糸が引き継ぐことができない時には、他者が頭を踏みつける」のだ。
もしも、チベット人が中国の街を訪れ、好き勝手に中国人の顔めがけてカメラのシャッターを切ればどうなるか?個人の家や所有物や街の貴重な物品を好き勝手に撮影すればどのような結果になるか?街に住む人々の権利と自由を踏みにじれば、法律に従い処罰されるであろう。どうして、我々の遊牧地帯には街と同様の倫理と法律が適応されないのであろうか?人権は普遍的なものであるというなら、どうして我々は車や馬に乗った観光客と同様の権利を享受できないのか?街中のように、なぜ我々は遊牧地帯の草原に「ここで撮影すること、小便すること、たんを吐くことを厳禁する!」という標識を立てることができないのか?
2007年10月10日、蘭州にて。
参照:7日付けTCHRDリリース http://www.tchrd.org/2013/05/they-treat-us-like-animals/
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)