チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2013年5月7日

アムド、マロの作家・活動家が解放されたが

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97ad5b77-1cb0-4561-b1f6-7908226effc1解放され故郷に帰ったジグメ・ギャンツォは地元の人々からカタと共に迎え入れられた。最初母親を認識できず、これが回りの人々の涙を誘ったという。写真は母親と抱き合う場面と思われる。

このところ、政治犯が解放されたという話が続いている。基本的には良いニュースと言えようが、そのほとんどは獄中で健康を損っており、刑務所内の拷問や虐待の実体が露になっている。また、前回のロトゥのケースは最初殺人罪ということで例外ではあるが、その他の政治犯は思想、言論の自由を行使しただけであり、中国の憲法に照らしても本来刑期を受けるはずもない人たちである。また、ロトゥの場合も妹殺しの事件を警察が(何かの利害、または単なる怠慢により)ちゃんと取り上げなかったことが事の発端だ。また、果たし合いの結果相手が死んだ時に15年というのは如何なものか?という思いも残る。

政治犯たちは解放された後も、健康を取り戻すために出費が嵩んだり、政治的権利剥奪により、移動の自由が制限され、仕事に付く事もできず、生活に困窮する場合が多いと言われている。

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130507032044AB今回は3年の刑を受けたあるチベット人作家・活動家が解放されたというニュース。彼も衰弱していると伝えられる。ただ、彼が刑期を終え解放されたのか、刑期を終える前に解放されたのかについてははっきりしない。

RFAとTibet Timesが昨日付けで伝えたところによれば、先月4月27日にアムド、マロ(青海省黄南チベット族自治州)マロ県(T.Timesはソク県と)出身のジグメ・ギャンツォ(筆名アリ・ジグメその他アリ、ナムケン、トプデン等)が蘭州にある第一刑務所から解放され、家族の下に帰された。彼は背骨と腎臓を患い、視力も極端に落ちているという。また、解放後彼に会った昔の友人は「ジグメは嘗ての友人を認識できなかった」といい、他の面会者の中には「どうも、言動がおかしく脳に障害を受けているようだ」と話す。

彼は現在28歳、彼は2010年10月にツゥ市で逮捕され、1年数ヶ月後の2012年ホル暦(チベット暦に似る)1月14日に国家機密を国外に漏洩したとして3年(T.Timesは3年1ヶ月)の刑を受けたという。これによれば拘束期間を入れても計算上まだ刑期は終えていないことになる。しかし、phayulは「刑期を満了し解放された」と報じている。

ジグメ・ギャンツォは1995年にラプラン・タシキル僧院で僧侶となり、仏教の勉強をした後、2006年8月から甘粛省の師範学校に入学、在学中に外国メディアにそのころ捕らえられていたゴロ・ジグメ、ジグメ・ゴリ、カルツェ・ジグメの経歴や状況を伝えている。2010年に学校を卒業し、還俗した。2010年10月レゴンの学生たちが言語自由を訴え大規模なデモを行った時、これを先導したとされる。その後、当局に追われる身となり、ツゥ市に逃れ、そこのネットカフェでレゴンのデモの状況を知らせる報告を書いている最中、逮捕された。彼は以前より、チベット語の雑誌や新聞に政治的なテーマを含む多くの記事を発表していたという。

ロトゥ・ギャンツォの解放を知らせたチベット人は同じナクチュ地区ソク県で最近刑期を終え解放された僧イシェ・テンジン(5年の刑)とテンジン・チュヤン(10年の刑)が解放後間もなくして死亡したと報告したが、詳細不明。

参照:5月6日付けRFA チベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/china-release-political-prisoner-ari-jigmey-on-april-27-2013-05042013134505.html
5月6日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7643
5月6日付けphayul http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=33410&article=Tibetan+writer+released+in+serious+health+condition
5月6日VOTチベット語放送分http://www.vot.org/#

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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