チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2013年5月5日

21年間の刑期を終え、政治犯ロトゥ・ギャンツォ解放

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image5逮捕前のロトゥ・ギャンツォ

先の5月2日、チベット自治区ナクチュ地区ソク県出身の政治犯ロトゥ・ギャンツォ(བློ་གྲོས་རྒྱ་མཚོ་ 現在52歳、別名ソクカル・ロトゥ)が21年の刑期を終え解放された。彼も刑務所内で様々な拷問を受けており、健康状態は優れず、衰弱気味と伝えられる。

彼は最初から政治犯として捕らえられたのではなく、最初は殺人罪で15年の刑を受け、服役中2年後に刑務所内でチベット独立を叫んだことにより、刑期が6年延長され、その後政治犯として19年を過ごしたのであった。

1993年(1991年と伝えるメディアもある)1月17日、ガユと呼ばれるチベット人との間に争いが起こり、喧嘩となり、ガユが短銃を取り出し撃とうとしたが、逆にロトゥが刀でガユの手を切り落とし、その後殺した。そして、ナクチュの裁判所が彼に15年の刑を与え、ラサのダプシ刑務所に送られた(というのが、メディアの発表であるが、この詳しい経緯を刑務所仲間から聞いたので、それを最後にお伝えする)。

ダプチ刑務所に入れられて2年後の1995年3月4日、この日はチベット暦のロサ(正月)に当たっていたが、ロトゥ・ギャンツォは受刑者全員に呼びかけ、自分が先頭を切り「チベット独立!、中国人はチベットから出て行け!ダライ・ラマ法王に長寿を!チベット人は団結する!」と叫び、同時に自分で書いたチラシ300枚程をばらまいた。刑務所の署長は裁判所に訴え、3日以内に死刑にしてもよいという許可を得たという。

これを察知した国連の特別監視官とアムネスティが直ぐに中国当局に対し、死刑の中止を訴えた。その結果、彼は政治犯とされ、6年刑期延長、3年政治的権利剥奪ということで手が打たれた。その後、彼は1ヶ月間(3ヶ月という説もあり)1畳にも満たない無窓独房に入れられ、1日に2杯の水と小さな蒸しパン1つしか与えられなかった。また、両親指に鉄錠をはめられ、1晩天上から吊り下げられる等、様々な拷問を受けたという(同様な拷問を多くの政治犯が受けている)。彼はどのような拷問を受けても決して、当局側が求める(ダライ・ラマ批難等の)要求は聞き入れず、「殺されても同意しない」と言い続けたという。

その後、彼はチュシュル刑務所に移され、解放されるまでそこで過ごした。同じ刑務所に収監されていたチベット人の話によれば、彼は常に監視人に逆らっていたので、何度も死ぬほどの撲打を受けていたという。

ロトゥ・ギャンツォはカム、ソク県ツァドク郷ソクカル村の出身。特に政治的な活動は行っていなかったが、チベット人としての自覚と誇りには強いものがあり、弱きを助け不当な権力に立ち向かうチベットの勇者であったと言われている。彼は踊りの名手であり、また力持ちとして有名で、ナクチュ地区の石(約100キロ)上げ大会で2度優勝したことがある。

image解放後のロトゥ・ギャンツォ

以下、彼と同じくダプシ刑務所に収監され、彼のことをよく知っているというグチュスンの会のソパが話てくれた、最初ガユというチベット人と闘い、殺すに至った経緯。

ことの起こりはロトゥ・ギャンツォの妹が夫であったガユに車でひき殺されたからだという。ガユは新しい女ができ、妻であるロトゥの妹がじゃまになり殺したという。これを知ったロトゥはまず警察と裁判所に訴えるために何度もナクチュに通ったが、警察も裁判所もまったく相手にしてくれなかったという。そこで、ガユと直談判が始まり、ロトゥは「もう妹は死んでしまったのだから、何をしても生き返ることはない。これからラサのデブン、セラ、ガンデン僧院を巡り、妹のために法要を行おうと思う。だからその費用として6000元をもらいたい」と提案した。ガユはこれを一旦は承諾したが、金を借りに言った商人に「そんな金をはらうことなどない。殺してしまえばいいのだ」と言われ、その気になる。ガユは図体が大きく、暴れ者として有名であったという。

そこで、ガユとロトゥが決闘と言うことになった。ロトゥは(刀傷を防ぐために)皮のチュバを着て、肩にはカタを巻いた(以降の話はソパが話してくれたことそのままである。事実は今確認できないということで)。決闘には立ち会い人もいたという。最初、ガユが大きな石を投げたが、ロトゥはこれをよけ、長刀による切り合いになった。双方、肩や腹に傷を受け動けなくなったところで仲裁が入り、一旦終了ということになった。

その後、今度は双方仲間を連れ出し、大勢の果たし合いとなった。ロトゥ側は15人、ガユ側は30人、バイクで草原に集まった。警官もこれを察知し、駆けつけ拳銃を空に向け何度も発砲し、止めさせようとしたが、まったく効果はなかったという。双方、近づいた後、ガユが短銃を取り出しロトゥを撃とうとしたが、銃弾は発射されず。これを見たロトゥが切り込み、ガユの手をまず1本、次に両方切り落とした。そして、なにがしらの口上を述べた後、ロトゥはガユの額をかち割り、殺したそうだ。他の仲間がどうなったのかは不明。

ソパ曰く、「彼は最初からガユを殺そうとした訳じゃない。まず、裁判所に訴えたが、相手にされず、直接交渉したが、これも断られ、最後の手段に決闘したので。何れ、悪いのはガユだ。ロトゥは勇敢な男だったが、悪じゃない。チベット人の仲間をいつもかばい、監視人に代わりに殴られる役を買って出た。豪快でよく笑った。決して自分からこのような武勇伝を語ったりしなかった。聞かれれば話しただけだ」と。

参照:5月4日付けTibet Times チベット語版http://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-37-19/10506-2013-05-03-06-42-45
4日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/lodoe-gyaltso-released-05032013110640.html
同英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/released-05032013161353.html

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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