チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2013年5月3日

世界の焼身 前編 インド、イスラム圏

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「チベット人の焼身抗議は世界の歴史上もっとも激しい政治的焼身である」と言われることがある。チベットの焼身抗議は現在進行形であり、まだ歴史となった訳ではないが、ここでこれまで世界で行われた他の政治的焼身抗議について概観することも、チベットの焼身抗議を相対化し、客観視するために意味があると思われる。世界と言っても、今回は特にインド、イスラム圏、ベトナム、中国、日本の一般的焼身自殺を含む焼身について報告する。

幸い、2012年12月にフランスのパリで発行された「Revue d’Etudes Tibetaines」と題された雑誌(注1)の中にチベットの焼身だけではなく世界中のこれまでの焼身に関する各学者の論文が集められているので、これを主に参考しながら、以下、特にチベットの焼身に関係すると思われる近代以降の焼身の歴史を中心に概観することにする。

インド

世界的に見ると、政治的抗議の意味を含まない、一般的自殺の方法として焼身を選ぶことが一番多いのはインドである。インドでは何と毎年1万人以上の人が焼身自殺を行っているのだ。これは自殺の11%という。そのほとんどは若い女性である。インドには、今は法律で禁止されているということもあり、稀なケースとなっているが、古くよりサティーと呼ばれる寡婦焼身の習慣があった。これは夫が死亡した場合に残された妻が焼身するというものである。これは同意の下に、自発的に行われることが多いかったと言うが、強制的に殺されるというケースも多かったと言われる。この習慣がいつ頃から始まったかは定かではないが、ヒンドゥー教が仏教を凌ぎ台頭してきた5世紀ぐらいからであろうと思われている。このサティーの習慣はヒンドゥー教の教典に典拠するものではないと言われるが、その起源は一般的にインド神話に登場するサティー女神の物語であると思われている。神話「マハーバーラタ」によれば、「ブラフマー神の子の1人であったダクシャの娘サティーはシヴァと結婚するが、シヴァを快く思っていないダクシャは祭儀にシヴァを招かず、怒ったサティーは聖火に身を投じ死んでしまう。後にサティーはヒマラヤの娘パールヴァティーに転生し、再びシヴァの妻となった」という。つまり、サティーは貞節な女性の象徴であり、ここにはインド思想に特徴的な「死と再生」「生け贄と自発的犠牲」「炎による浄化」等のテーマが含まれており、「炎には破壊と創造の力がある」と考えられていたことを表すものである。

2d2487c1話は少し飛ぶが、チベット仏教というかその密教においては多くの仏神が炎に包まれた姿として現れる。特にそれは守護神とか護法尊、或はダーキニーと呼ばれる憤怒尊として仏法を守る役割を与えられた仏神たちであるが、これらの護法尊の多くは元々ヒンドゥー教の神々であったりインドの地方神であったものが多い。密教が始まった5、6世紀は同時にインドにおいて仏教がヒンドゥー教に押されマイナーな宗教に転落する時期と重なっている。仏教は布教し、生き延びるためにヒンドゥー教の神々を意味を変えながら自らの宗教体系の取り入れるしかなかったとも言える時期なのである。この傾向は時代が下がるに従い顕著となり、中期密教、後期密教の時代にはその成就法といわれるものも増々ヒンドゥー教のそれに近いものとなって行った。もちろん、その目的と意味は依然仏教のそれであったが、手段、自己催眠法が似て来たということである。

その元であるヒンドゥー教の憤怒型の神々を包む炎は先にも言ったように「破壊と創造の力」を持つものであった。仏教になり、この炎について「全ての実体視を打ち破る智慧の炎」であるとか「煩悩を焼尽す炎」であるとかの解釈が行われるようになったが、元をただせば「破壊と創造」の象徴であったということである。私はチベット人の焼身の写真やビデオを見るとき、いつもこの護法尊の炎が二重写しとなる。梵語の「アドブダ」は日本語では驚き、奇跡、未曾有となるようだが、私は彼らが大きな炎に包まれるのを見て、驚き、涙と祈りと共に、その中に仏教的解釈よりもむしろヒンドゥー教的とも言える、「死と再生」「生け贄と自発的犠牲」「炎による浄化」という意味を感じ、現状を「破壊」し新しい秩序を「創造」したいという意志を感じるのだ。彼らは最後に彼らの忠誠心(サティー的貞節心)の表明である「ダライ・ラマ法王に長寿を!」と叫んで息絶える。

話を元に戻そう。インドでは若い女性の焼身自殺が多いということだが、これは焼身という手段を使うという面でその宗教文化と結びついていると思われる。自殺には女性が虐げられているという現実が背景にあることは確かである。社会的抗議としての焼身も若い女性により始められた。1914年1月にカルカッタ(今のコルカタ)でスネハラターというブラフマン階級の14歳の少女がダウリーという花嫁が花婿へ持参金や家財道具を贈る制度に反対を唱え屋根の上で焼身した。この事件は世界的なニュースとなり、インドではこの後ダウリーを廃止しようという運動も起った。彼女の焼身は「聖なる犠牲」と讃えられ、同じような境遇に悩む女性たちが彼女に見習って次々と焼身するという現象も起った。現在に至まで、若い女性が家庭内の問題や社会的差別の問題を糾弾するために焼身するというケースが沢山起っているという。

インドにおけるもっとも最近の集団による政治的意味を持った焼身抗議は1990年に起った「反マンダル」の焼身である。「マンダル」とはこの時の政府が打ち出した「低カースト優遇政策」のことである。学生を中心にこれに反対する上級カーストの人たちが200人以上も焼身したのである。これにより、マンダルは廃止されなかったが、時の首相であるVP Singhは解任されることになった。

チベット人初めての焼身抗議はインドのデリーで1998年にトゥプテン・ゴドゥップが行ったものだが、彼が焼身というアイデアをどこから得たのかは分からない。もしかしたら、インドにおけるこのような焼身抗議を知っおり、それに影響されたのかも知れない。

イスラム圏

西洋キリスト教社会では焼身は火あぶりの刑と言うように、罪人が受ける業火という意味合いが強く、自殺の形態として焼身が選ばれるということは極く稀であり、また政治的抗議の焼身も稀である。ただ近代において焼身抗議が全く無かったわけではなく、政治的抗議として1969年に当時のチェコスロバキアのプラハで行われたヤン・パラフの焼身は有名である。大学生であった彼はその前年に始まった所謂「プラハの春」と呼ばれる社会主義改革が、次の年ソ連その他の共産国の軍事侵攻を受け挫折したことを悲観して広場で焼身抗議を行った。その後、彼に続いてヤン・ザイーツという青年も焼身している。ヤン・バラフは東欧だけでなく西欧においても若者の間に悲劇のヒーローとしてシンボル的存在となった。彼は1963年にベトナムのサイゴンで焼身した僧ティック・クアン・ドックを真似たと言われている。このベトナムの僧侶の焼身は世界的ニュースとなり、後の様々な焼身抗議のモデルとなったが、これについてはまた後ほど、書く。

2010年12月17日にチェニジアの中部の町、シディブジドで、大学は出たものの職はなく路上で野菜を売って家の生計を支えていた26歳の青年モハメド・ボアジジが焼身した。彼は翌年の1月4日に死亡した。焼身の直接の原因は、無許可で路上販売を行っていたとして警察に商品を没収され、借金しながらもまた商売を始めようと役所に懇願に行ったが、そこで女性役人に顔を叩かれたことであり、その役所の前で抗議の焼身を行ったのだ。アラブ諸国には今若者が増加し、就職問題が大きな社会問題になっている。彼の焼身は無職の若者の絶望の象徴的なモデルとなり、体制批判に火を付ける結果となった。彼の焼身をきっかけに起った反独裁政権デモにより、チェニジアのベンアリ政権はもろくも倒れ、独裁者ベンアリは亡命を余儀なくされた。これが所謂「アラブの春・ジャスミン革命」の始まりである。独裁者追放、民主化要求のうねりは同じイスラム教を奉じる近隣国に波及し、その後1年の間にエジプト、リビアで長期独裁者が逮捕・惨殺され、イエメンでも大統領が交代した。今はシリアで独裁者アサド大統領と反体制派が激しい内戦を続けている。イスラム教国のばあい、独裁者追放のために激しい戦闘が行われたり、選挙が行われても結局原理主義的イスラム勢力が拡大するだけということにもなりやすく、真の民主化への道は容易ではないようである。

実はチェニジアでモハメド・ボアジジが焼身した後、彼の焼身に刺激され、その後1ヶ月の間にチェニジア、アルジェリア、モロッコ、モーリタニア、エジプト、サウジアラビア、スーダンそれにイエメンで約30人の人が焼身しているのである。一般的にイスラム教においては自殺は罪と見なされる。焼身自殺については火自体が聖なる処罰の手段と信じられているので、法律的にも禁止されている国が多いという。しかし、これらの焼身抗議をイスラム法に照らして肯定すべきかどうかについては意見が分かれているという。つまり、これをジハードと認めるべきかどうかについてである。イスラム法においては「イスラム教やイスラム教国、イスラム共同体」を守るために敵と聖戦(ジハード)を行うときには自殺的行為も偉大なミッションとして認められることが多い。一部の宗教的権威者たちは自殺や焼身を否定しながらも、このチェニジアのモハメド・ボアジジの焼身を「不正と腐敗」に対するジハードとして認めた。しかし、もちろん全ての自殺をイスラム法に反する行為とする学者たちもいるという(注2)。

イランも自殺の中で焼身の割合が多い国として有名であり、特にその北西部のシーアコミュニティーでは1998年~2003年の間に98件の焼身が記録されたという。ただ、これは政治的目的をもった焼身ではない。ここでもインドと同じように若い女性の焼身がめだつという。

国家を持たない世界最大の民族集団と言われるクルド人(人口2500~3000万人)はトルコを初めイラン、イラク、シリア等をはじめ西洋諸国にも多くが移民している。各地で迫害を受け続ける彼らは長期に渡り独立運動を行っている。その中でもクルド労働党(Kurdistan Workers Party [PKK])と呼ばれる独立組織は闘争の一環として焼身抗議を肯定し、英雄と見なす姿勢を見せている。そして、1982年に政治犯としてトルコの刑務所に収監されていた4人のクルド人が同じ日に焼身抗議を行ったことに始まり、2007年までに15カ国で183人の活動家による焼身抗議が記録されている。焼身は活動家だけでなくその家族、運動を支持する女性にも広がっている。その内55%はトルコの刑務所内、28%がドイツを中心とするヨーロッパ、16%が中東諸国で行われ、ゲリラ闘争地帯での焼身はわずか1%という。トルコ内の刑務所における政治犯に対する扱いは劣悪でこれが焼身を誘発するものと思われる。ヨーロッパにおける焼身はクルド問題を訴えるためと考えられる。ゲリラ闘争地帯で焼身が少ないのは、いずれ闘いのために命を掛けており、自殺は戦力の喪失に繋がるので少ないのだと思われる。なお、PKKは焼身抗議とともに自爆テロも行っている。これらの焼身の原因はトルコ政府によるクルド人弾圧に求められよう。ただ、チベット人と違いクルド人たちはその圧政に抵抗するために独立を求め、武装闘争も行っている。多くの焼身者たちはゲリラ闘争に加わりたくとも、それを許されなかった女性や年少者が多いという。生き残った何人かの証言を読むと、彼らは焼身という形でこの独立運動に貢献したいと思ったということが分かる(注3)。

注1:http://himalaya.socanth.cam.ac.uk/collections/journals/ret/pdf/ret_25.pdf
注2:Immolation in a Global Muslim Society Revolt against Authority ― Transgression of Strict Religious Laws1 Dominique Avon (Universite du Maine – Le Mans)
注3:Self-Immolations by Kurdish Activists in Turkey and Europe Olivier Grojean
 (Aix-Marseille Universite – CERIC/UMR 7318)

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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