チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2013年5月2日

仏教と焼身

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318px-Tamamushi_Shrine_(lower_left)法隆寺が所蔵する「玉虫厨子」に描かれた「捨身飼虎図」。

今日はニュースではなく、ちょっとした考察コラム。

焼身は仏教教義に反するのか?

中国当局は度々「焼身自殺は生命を軽んじる行為であり、仏教教義に反する」と言い、「ダライ一味はチベット人に自殺を勧めている」と宣伝する。最近はチベットの焼身に関するプロパガンダビデオを何本も製作し、その中にチベットの高僧と思われる僧侶たちを登場させ「焼身自殺は仏教の教義と戒律に反する」と言わせている。また、日本人の中にも「焼身自殺は仏教の教義に反するのではないか。だのに何故チベットの僧侶は焼身するのか?」と問う人が大勢いる。では果して「焼身(自殺)」は仏教の教義に本当に反するのであろうか?

これについてダライ・ラマ法王は「全ては焼身者の動機による」と答えている。つまり、その焼身者の動機が利他的なものであり、かつ焼身の行為を行うときに、その人の心が怒り等の否定的な感情に支配されていなかったとすれば、その行為は善なるものとして肯定されるものであるというのだ。その反対に焼身者の動機が、自分の個人的な苦しみから解放されたいとか、名声を得たいからとかいう利己的なものであったり、また他人を害そうという攻撃的なものであり、かつその行為を行うときにその人の心が怒り等の否定的な感情に支配されていた場合には、その行為は不善な行為として否定されるものであるというのだ。仏教的には全ての行為の善悪は、動機とその行為中の心の状態に依って判断されるというのだ。

焼身は戒律に反するのか?

中国政府はまた「自殺は戒律に反する」ともいう。これは例えば、仏教の基本的な戒律である五戒や十戒の中にもちろん「不殺生戒」と言うものがあって、自殺は自分を殺す事だから、これも戒律に反するという単純な解釈に基づき言われるのであろう。しかし、仏教のこの戒律はあくまでも他の有情を対象にした戒律であり、必ずしも自殺を禁止した戒律ではないというのが一般的な解釈である。もちろん、チベット仏教でも「人として生まれる事は、大海に浮かぶくびきに百年に一度海面に上がる盲目のカメが偶然首を突っ込むことほどに稀なことである。故に、仏教を極め、人を利益するために自らの命を大切にしなければならない」と説く。しかし、これも修行と空に対する見解が進み菩薩位と言われる見道以上に至った者に対しては、利他行の一環として進んで自らの命をも捨てるということが勧められる。この場合「自殺」という言葉は使われず「捨身」と呼ばれたりする。ただし、これは大乗仏教の時代に入って後に説かれるようになった教えである。

仏陀自身の立場

では、大乗の時代に入る前、仏陀自身は自殺に対しどのような態度を示したのかというと、これは仏陀自身の言葉や行動が記されていると思われている原始教典にあたって調べるということになる。詳しくここで一々の教典を示さないが、仏陀は自殺を必ずしも禁じてはおらず、状況次第では自殺を黙認しているのだ。もちろん奨励はしていない。また、時にはその自殺が不適切と判断したときには自殺を思いとどまらせるということも行っている。つまり仏陀自身は自殺を肯定も否定もしていないということである(*1)。

菩薩の供養

そして、大乗の時代になると、例えば仏陀の前世談をまとめたジャータカ(本生譚)には「捨身飼虎」という一章があるが、この中に仏陀の前世であった薩埵太子(王子)が、飢えた雌虎が自分が生んだばかりの7匹の子虎をこのままでは食べてしまいそうだと見て、この子虎たちを助けるために自らの身をその雌虎に捧げたという話がある(*2)。この話はチベットでも有名であり僧侶だけでなく、俗人チベット人でもよく知っている話である。先に掲載した焼身者遺言集の中にある2012年1月8日にアムド、ゴロで焼身、死亡した高僧トゥルク・ソナム・ワンギェル(ソバ・リンポチェ)はその遺言の中で「この行為は自分1人のためになすのではなく、名誉のためになすのでもない、清浄なる思いにより、今生最大の勇気を持って、(ブッダのように、子虎たちを救うために飢えた)雌虎に身を捧げるようになすのだ。私のようにチベットの勇者・勇女たちもこのような思いで命を投げ出したに違いない」と述べ、自身の焼身をこの仏陀の前世であった薩埵太子の行為に喩えている。亡命チベット人社会の中でも焼身者の行為を喩えるときに、菩薩の利他行としてこの話がしばしば引用される。チベット人の大多数は焼身者たちの行為を菩薩行と見なしていることは間違いない。

また、このジャータカの「捨身飼虎」を基にしたとも思われている法華経薬王品の中には、最高の供養形態としての「捨身」が説かれている。この仏典によれば薬王菩薩は、彼の直観した空の本質を実践し、一切衆生を救うために、供養として自らの身体を炎で包む。法華経はチベットではあまり読まれないが、中国やベトナムではこの供養としての「捨身」という考えは一般的であった。「焼身は仏教に反する」などと今の共産党は言うが、実は中国においても嘗て仏教が流行っていたころには、この「捨身供養」のため、焼身を含む様々な自殺が行われ、記録に残っているだけでもその数は数百人に昇ったという(*3)。中には時の権力者の前で高僧が自らの境地を示すために御前焼身が行われるということもあった。ベトナムで1963年6月11日に時のゴ・ディン・ジエム政権の仏教徒に対する弾圧に抗議するために焼身抗議を行った僧ティック・クアン・ドックは、明らかにこの法華経に影響されていたのである。

このように特に大乗仏教においては他の有情を救うための利他行としての自殺は自殺とは呼ばれず、尊い菩薩行とみなされるのである。菩提心の大切さを強調するチベット仏教においては僧侶だけでなく俗人でも朝に夕に「自らの身と所有物、三世の福徳全てを母なる有情のために、惜しみなく捧げよう」というお経の一節を唱えている。もちろん、だからと言って全てのチベットの焼身者がこの範疇に入ると言い切ることはできないのであるが。

*1:http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3138/suicide_buddhism.html等を参照
*2:中村元編「原始仏典」筑摩書房 P105
*3:中国の仏教僧侶たちの「捨身」について詳しく書かれたものは例えば:Revue d’Etudes Tibetaines― Tibet is burning ― Self-Immolation: Ritual or Political Protest?の中Multiple Meanings of Buddhist Self-Immolation in China ― A Historical Perspective James A. Benn (McMaster University)

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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