チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2013年4月20日
最近の亡命者が語るラプラン僧院他内地の現状
最近インドに亡命したチベット人がアムド、ラプラン僧院等の現状を報告した。内容からしてラプラン僧院の僧侶かと思われる。
Tibet Timesが彼にインタビューした記事を以下そのまま訳す。
ラプラン僧院僧侶が僧院を追われる
ラプラン僧院の僧侶たちは様々な嫌がらせを受け、今年に入り僧院を追い出された僧侶が多数いるという。
最近亡命し、ダラムサラに到着した匿名希望のチベット人にTibet Timesがインタビューした。
「中国当局は以前よりラプラン・タシキル僧院に対し僧侶の数を制限するよう圧力を掛けていた。屋外で行われる討論の時にも部隊が見張りを行う。2009年以来規制が厳しくなり、他の州出身の僧侶は法要に参加してはならないという書面を発表し、チベット自治区、四川省、青海省から来ていた僧侶170人程が僧院から追い出された」という。また、「当局が僧侶の数を制限する目的は2つある。一つには僧侶の数が少ないほど管理し易いからだ。もう一つは僧侶の数を減らすことにより僧院自体の力を削ぐためだ」と話す。
さらに、「僧侶の数を減らすために、18歳未満の僧侶を認めず、学校に通学した証明書がない者も許可しなくなった。ラプラン・タシキル僧院の僧侶の数を999人までと決め、もしも1000人以上になったときには、それを口実に他の僧侶も大勢追い出すということをやる。この他様々な規制や嫌がらせをして、とにかく僧侶が大人しく勉強することを困難にされている」という。
「2008年と、2009年以降焼身事件が起る度に僧院の中と周辺全てに武装した軍を配備し、僧侶や一般チベット人に恐怖心を起こさせていたが、最近はやり方を変え、僧院内や街に私服警官を大勢徘徊させ、表向きは弾圧していないように見せかけている」。
「最近、ラプラン僧院、クンブム僧院、ンガバ・キルティ僧院、ロンウォ僧院等アムドの主な僧院の中に政府の建物を建設し、政府の役人が僧院を監視するために大勢雇われている。至る所に監視カメラが設置され。僧院付近に住む一般人も厳しく監視されている。外人を家に入れてはならないとされ、また他の土地から来た者に家を貸してはならないと命令されている。学校の生徒も外人と英語で話してはならないと言い渡されている」と報告する。
内地のチベット語の状況を尋ねてみると、「チベットの街はどこもチベット人より中国人の方が多い。街に住むチベット人の若者たちはみんなチベット語より中国語の方が達者だ。チベット語を話す時にも、中国語を混ぜないと話せないという状況だ。遊牧民の言葉の中にも中国語が沢山混じっている。しかし、以前に比べると最近はチベット語が少しだが純化しているように感じる。いろんな地区で純粋なチベット語を話そうという運動が起っている。チベットの3地区(ウツァン・カム・アムド)の学者が集まり「チベット語、漢語、英語新語辞典」という辞書を出版したり、新たなチベット語を普及させるための会議や集会も沢山開かれている。しかし、去年甘粛省ではこのような辞書を発禁にした。本屋もこのような辞書や本を販売すれば政治的罪を着せられることになっている。当局はその理由を説明しようとはしない」という。
焼身抗議について内地の人々がどのように感じているかについて質問した。「焼身がある度に、みんなお互いに携帯電話で情報を送り合うので、すぐに知ることができる。以前なら、焼身がある度に、みんなすぐに僧院に向かい彼らのために祈るということが広く一般的な習慣になっていた。しかし、最近は当局が僧院に行くことを厳しく規制し、阻止することが多くなった。チベット人はみんな焼身する人たちを非常に貴重な存在として大いに尊敬する。民族の勇者、愛国者と認識している」と話す。
個人的な感想を聞くと、「焼身する人たちの中には若い人が多い。17歳とかの若者が焼身したと聞くと非常な悲しみを覚える。自分は内外のチベット人が母語を確実に学び、保存することが大切と考える。若者たちが集まる時には、ほぼ必ずチベット問題についての話が出る。ロプサン・センゲ首相の話になると、みんな身を乗り出して論じ合う。彼がどこの大学を出たとかどんな知識があるとか、どこでどんな話をしたか等について情報を交換しあったりしている」と話した。
参照:19日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7583
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)