チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2013年4月19日

2月に焼身したパクモ・ドゥンドゥップの死亡確認 ソナム・ダルギェの生前写真

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db31f8b4-3355-4e74-a7ab-14956b04c63b今年、2月24日にアムド、ツォゴン地区バイェン県(青海省海東地区化隆回族自治県)チャキュン僧院内で焼身抗議を行ったパクモ・ドゥンドゥップ(ཕག་མོ་དོན་གྲུབ་)に関する新しい情報が入った。速報では彼は病院に向かう途中、家族と共に当局に拉致され行方不明になったということで生死不明とされていた。

15日付けRFAチベット語版(注1)によれば、彼は病院に運び込まれた後、数日して死亡したという。死亡の日付は明らかにされていない。彼の父親は息子が死亡した後、警察で様々な書類へのサインを強要されたという。しかし、父親は字が読めず、内容は全く理解していなかったという。

僧院では彼のための追悼法要は禁止されていたが、秘密裏に地域のチベット人も集まり法要を行ったという。

また、焼身直後に亡命側に伝わり発表されたパクモの写真と言われていたものは、実はパクモではなかったということも判明した。これが本物のパクモの写真だとして今回伝わったものが冒頭に載せた写真である。

以下、彼の焼身の経緯や背景をおさらいしておく。

2月24日、現地時間午後8時頃、アムド、ツォゴン地区バイェン県にあるチャキュン(夏琼寺)僧院内で1人の俗人チベット人が中国の圧政に抗議し、焼身した。その後すぐに現場に呼ばれた両親に連れ添われ、西寧にある病院に向かった。

彼は車に運び込まれる前、まだ意識がある時、回りの人々に対し「もしも、私に情けをかけるなら、殺してくれ、殺してくれ」と重ねて懇願したという。車には両親と兄弟の1人が乗り込み西寧の病院に向かったが、その途中で軍と警察の車に止められ、パクモ・ドゥンドゥップは両親、兄弟、運転手とともにどこかに連れさられ、行方不明となった。

彼は短い遺書を残していた。その中には「チベットは独立し、自由になるべきだ。ダライ・ラマ法王をチベットに」と書かれていた。

当局は地域の住民たちが焼身者の家族の家に慰問のために向かうことを禁止し、僧院の内外、焼身者の村に続く道には部隊が配備され厳重な警戒が続いた。パクモ・ドゥンドゥップ、20歳前後は僧院近くのバイェン県ツァプック郷サカル・ゴンワ村出身。父の名はシャボ。

パクモ・ドゥンドゥップが焼身抗議を行うに至った背景としては、チベット人全体への弾圧がもちろん考えられるが、これに加え、この地域特別の事情も加味していたと思われる。

2008年3月、チベット全土に抗議デモが広がった時、このチャキュン僧院の僧侶や付近の村々の住民も抗議デモを行った。この時以来、僧院と焼身を行ったパクモが暮らす村を含む付近の村々は当局の特別の監視対象とされていた。

2012年6月、この僧院の会計係であった僧ダクマル・ペルギェ(43)が金目当てに押し入った中国人警官に殺されるという事件があった。マと呼ばれるその警官は僧侶を殺した後、遺体を派出所近くの穴に投げ捨てていた。このことを知り、大勢のチャキュン僧院僧侶と地元のチベット人が派出所に詰めかけ、原因を明らかにするよう求め、小競り合いが起った(注2)。

昨年からチャキュン僧院には愛国再教育チームが度々訪れ、僧侶たちに法王批難と共産党賛美を強要していた。特に昨年終わり頃から僧院や村には政府の役人が来て反焼身教育を行っていた。VOTによれば、「僧院のすぐ傍にあったパクモが住むサカル・ゴンワ村には県と郷の役人が来て緊急会議を招集し、村の民衆に対して、法律を守り社会の安定を維持し焼身に反対するよう要求した、もし焼身が起こったら焼身者とその家族を厳罰に処し焼身者の子どもは学校から退学させ、関係する親戚を逮捕する、と警告した」という。

また、チベット歴の正月を前に当局は僧院に対し、正月を盛大に祝うよう命令していた。これに対し、僧侶や住民たちは、今年の正月は喪に服す正月として、焼身者たちを供養するために宗教的儀式のみを行うことを決めていたという。

彼が住んでいた村は僧院に近く、常に僧院と連帯した行動を取っていた。また、この村は標高が高く、水に恵まれないこともあって、特に貧しい村だった。村で窓にガラスが入っているのは、一番裕福な一軒の家だけという。焼身したパクモも貧しい家の次男だったという。

彼が焼身した、2月24日はチベット歴1月14日に当たり、この日は釈迦牟尼仏陀が異教徒の挑戦を受けこれに対し神変(神通力)の数々を示したと言い伝えられる日である。チベット各地の僧院では神変大祈願祭と呼ばれる弥勒菩薩を招聘する法要が行われていた。

アムドの大僧院である近くのクンブム僧院やレゴンのロンウォ僧院、サンチュのラプラン・タシキル僧院でも大規模な法要が行われ、大勢のチベット人が集まった。しかし、これに対し当局は大量の部隊を送り込み儀式を妨害し、威嚇した。

焼身事件が発生したチャキュン僧院は1349年に創建された古刹であり、アムド地方でもっとも古い僧院の1つである。また、ゲルク派の創始者ジェ・ツォンカパ(1357~1419)が出家した僧院として有名である。ダライ・ラマ法王の生地にも近い。

注1:http://www.rfa.org/tibetan/chediklaytsen/amdolaytsen/amdo-stringer/jakhyung-monastery-and-locals-offered-prayers-for-phagmo-dhondup-04162013112645.html
注2:詳しくはhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51752238.html
参照:http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51781897.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51782129.html

24c5a27b-254c-4530-878d-0838e66dd212焼身死亡したソナム・ダルギェの生前写真が伝わる

同じく今年2月の19日にンガバ州ゾゲ県で焼身、死亡していたソナム・ダルギェの写真が数日前初めて亡命側に伝えられた。左の写真がそのソナム・ダルギェ、18歳。彼は同郷のリンチェン、17歳と共に焼身し、2人ともその場で死亡している。詳しくは過去ブログを参照>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51781390.html

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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