チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2013年4月14日
ロプサン・ツルティムの遺書
訂正、謝罪。昨日のブログで「僧ロプサン・ツルティムの遺書」として発表した文章は、実は2012年8月6日に焼身、死亡したンガバ・キルティ僧院僧侶ロプサン・ツルティムの遺書ではなく、2012年1月6日に焼身、死亡した22歳、1児の父、元ンガバ・キルティ僧院僧侶であるロプサン・ツルティムの遺書と判明した。昨日の情報はICTのレポートに従ったものであったが、今日ダラムサラ・キルティ僧院に確認したところ、当該遺書は1月6日に焼身、死亡したロプサン・ツルティムが残したものに違いないとの情報を得た。こちらの情報をより確かなものと信じ、昨日のブログを書き換えされて頂く。なお遺書の内容は同じである。実はこれまでに3人のロプサン・ツルティムが焼身している、何れも場所はンガバであり、1人はこの元ンガバ・キルティ僧院僧侶、他の2人は現役のンガバ・キルティ僧院僧侶であった。ICTは同名の人物を取り違えたものと思われる。
ロプサン・ツルティムは同じくンガバ・キルティ僧院の元僧侶であるテンニと共にンガバで焼身している。
焼身の経緯は以下:
ロプサン・ツルティム、22歳とテンニ、20歳の2人は1月6日、ンガバの街中にあるシド飯店の敷地内で焼身抗議を行った。「ダライ・ラマ法王をチベットにお呼びしよう!ダライ・ラマ法王に長寿を!」と叫び、炎に包まれながら敷地から外に飛び出した。すぐに近くにいた警官や軍人が駆けつけ火を消し連れ去った。
テンニはその日の内に死亡、ロプサン・ツルティムは7日の夜死亡した。2人の死を知った街の人々は商店や飲食店にシャッターを降ろし、追悼の意を示した。しかし、当局は人々が彼らの家族の元を慰問のために訪れることを禁止し、街の警戒を強化。
この情報を最初に伝えたのはブッダガヤのカーラチャクラに参加中のンガバから来たチベット人であった。その人は昨日午後2時頃ブッダガヤのカーラチャクラ会場でダライ・ラマ法王が法話を始められた時、その声をンガバに残る親戚に聞かせて上げようと電話したところ、その親戚から焼身抗議があったことを伝えられたという。また、「彼らの安寧を祈るために法王に供養物を捧げてほしい」とも懇願されたという。
新華社は事件の2日後の記事の中で、ツルティムが「2人で焼身することを共謀したことを告白した」と書き、また「調査によれば、この2人はキルティ僧院の仏像を盗み出していた」として2人を窃盗犯に仕立てている。そして、「最近焼身する者たちの多くは、回春やギャンブル、窃盗の前科があったり、またはギャンブルにより多額の負債を抱えたものである」とコメントする(注)。
ロプサン・ツルティムは幼少時ンガバ・キルティ僧院の僧侶となったが、その後還俗、結婚、幼い娘が1人いた。
以下、ロプサン・ツルティムの遺書:
自由と正義に鼓舞され、弾圧と従属に挑戦し、私はチベットのために我が身を投げ出す。人の身体は宝の中でももっとも価値ある宝、人に限らず全ての動物にとって、命はもっとも貴重なものと言われる。しかし、この驚くべき時代を経験し、ある者は焼身し、命を捧げる。非暴力の空の手と共に、世界の自由を愛する国々の人々が享受する、それと同じ自由と政治的権利を求めるために、有らん限りの息を吐き出し、願望の叫びを上げる。彼らは真理と共にある人々の側にいる。
このチベットにとって例外的な時代に何が起ったのかを知るがいい。1958年(注)、中国により侵略された後、100万人以上の人々が殺され、僧院、宝物、家々、そして文化が破壊され、全ての国と個人の貴重な財産は奪われ、チベット人の第一の精神的帰依所であるダライ・ラマ法王は亡命を余儀なくされ、ラマやリーダーたちも亡命したり、または獄に投げ入れられた。そして、今常軌を逸した「愛国再教育」が僧院で行われている。これは如何なるチベット人も受け入れる事ができないものである。
要するに、彼らは表現、移動、コミュニケーション、集会、宗教等々の権利を全て奪った。そして、これらの状況を外の世界に知らせるどんな言葉も許さない。彼らが外の世界に知らせることは嘘ばかりであり、誰にも真実を見る事を許さない。本当の状況を知らせた者に対しては不当な批難とともに恥知らずな誹謗を浴びせ、彼らを秘密裏に殺害したり、獄に送る。
この虐待と弾圧の証言として、世界の人々がこの事実を知るために、真実のために、犠牲となった利他的血脈のために、自由への闘いのために、私も己の貴重な身体を投げ出す。そして、高貴な死を選択した者たちは、真理と利他の力により死の恐怖から守られるという、大いなる確信と大志を持って私は己の命を犠牲にする。
己の身体を使い、人間社会に属する全ての人々の慈悲の目を開かせ、暖かい心と共に事実を観察し、カルマ(因果)の法則と正義の原則に基づき、私を1人の事例として、他国の武力により自由が奪われた、真理と慈悲を愛する小さな人々の味わう拷問と苦しみについて、人々が考察するよすがとならんとする。世界の友人たちよ、真実を支持しないで、いかに世界に平和がもたらされよう。
注:“2 Former monks set themselves on fire in Sichuan,” January 8, 2012, Xinhua, http://www.china.org.cn/china/2012-01/08/content_24351179.htm
参照:
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51723933.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51723395.html
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)