チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2013年4月6日

再び衰弱した長期刑の政治犯が早期解放される

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b982d228TCHRD(チベット民主人権センター)が4日付けリリースで伝えるところによれば、18年の長期刑を受け服役中であったチベット人政治犯ダワ・ギェルツェン(ཟླ་བ་རྒྱལ་མཚན་47)が刑期終了まで後2年を待たず先月中に解放された。当局はこの早期解放の理由を「良き態度」としているが、解放されたダワ・ギェルツェンは片足を引き摺り、非常に衰弱していると報告され、TCHRDはこの解放は「健康を理由」とするものであり、「獄中死」を避けるためのものではないかと推測している。

チベット自治区ナクチュ地区の銀行員であったダワ・ギェルツェンは1995年、政治的パンフレットを配布したとして、弟であるナクチュ・シャプテン僧院僧侶ニマ・ドゥンドゥップ、その他僧マゾ、アギャとともに逮捕された。逮捕後ラサのシトゥ拘置所に14ヶ月間拘留され、尋問の間激しい拷問を受けたと言われる。その後1997年に「半革命プロパガンダを広めた首謀者」として18年の刑期を言い渡された。拘留期間は刑期に加算されない。僧ニマ・ドゥンドゥップは13年、マゾとアギャはそれぞれ8年の刑を受けた。

4人は当初、ラサのダプシ刑務所に収監されていたが、その後チュシュル刑務所に移送され、刑期のほとんどをそこで過ごした。チュシュル刑務所には多くのチベット人政治犯が収容されており、ここの政治犯に対する待遇の悪さ、日常的拷問は有名である。その中でもダワ・ギェルツェンに対する監視は特に強かったという。2008年蜂起の際、彼は6ヶ月間独房に入れられていた。

10年程前にダワ・ギェルツェンと同じ刑務所に収監され、今インドに住むあるチベット人は「彼の解放は健康を理由とするものと思われる。10年前自分が一緒の刑務所にいたとき、彼は常に病気に罹っており、また監房から出されることもなかった」と話す。

彼は結婚し妻と2人の子供がいたが、妻は彼が収監されている間に離婚し、今は他の土地に移り住んでいるという。彼が故郷に帰ったとしても彼の面倒をみる親戚は少ないと思われている。

現在ダラムサラ地区TYCの会長であり、有名な活動家であるテンジン・ツゥンドゥは1997年本土に潜入し、逮捕されシトゥ拘置所に収容されていたときにこのダワ・ギェルツェンと会い、何度か話をしたという。ダワ・ギェルツェンは監視人から酷い扱いを受け、しばしば食事を与えられず、息抜きの時間として監房から外にでることも許されないことが多かったという。

テンジン・ツゥンドゥは2006年6月3日、スペインの国際法廷に対し次のようなレポートを提出している:
「一度、彼は手首を見せてくれた。そこには明らかな拷問の跡が残されていた。手首の回りには白くなった傷跡があった。彼が話すには、『最初逮捕された後、手錠をはめられ10日間真っ暗な独房に入れられた。食事は一度も与えられなかった。死なせないように日に一度づつ水を被せられた。手錠は手首の肉に食い込んで行った。傷になり、そこは膿み始めた。10日後に手錠を外されたとき、肉も一緒に取れた。何の手当もされず、傷が治るのに数ヶ月かかった』という」。

彼はまたダワ・ギェルツェンに関する次のような思い出も話している。「彼は自分を見かけるとしばしばダライ・ラマ法王とパンチェン・ラマの歌、別離した内外チベット人の歌等を歌ってくれと頼んだ。彼はこのような歌を聴くと心が和むと言っていた。自分はそのような歌を彼に聴かせながら涙を押さえる事ができなかった」と。

ダワ・ギェルツェンはナクチュ県で小学校と中学校を終えた後、北京で銀行業務と会計の専門学校に入り、卒業後ナクチュの銀行で会計係として勤めていた。

参照:4日付けTCHRDリリースhttp://www.tchrd.org/2013/04/political-prisoners-early-release-seen-as-attempt-to-avoid-detention-related-death/#more-1487
5日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7539
5日付けphayul http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=33297&article=Another+long-term+Tibetan+prisoner+released

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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