チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2013年4月2日
度重なる拷問にも関わらす不屈の精神で17年間獄中で闘い続けたチベット人政治犯が病気を理由についに釈放
17年間もの刑期を終え、3月30日、ラサのチュシュル刑務所から出された元僧侶ジグメ・ギャンツォ、現在52歳は、昨日、故郷の甘粛省甘南チベット族自治州サンチュ県ゲンギャ郷に到着した。「彼は非常に衰弱していた」と彼に会った人は語る。
1996年、ラサの裁判所は、彼に対し「チベット自由運動協会」というチベット独立を支持する組織を作り、チベットの独立を求めるパンフレット等を配布した「反革命組織のリーダー」であり、「国家の安全を脅かした」として15年の刑を言い渡した。さらに2004年、彼が獄中で「ダライ・ラマ法王に長寿を!」と叫んだことで「分裂主義を煽動した」としてさらに3年の刑を追加した。これにより彼は2014年3月末に解放される予定であった。
アムネスティとRFA英語版は延長された刑期は3年としているが、RFAチベット語版及びTibet Expressは2年としている。3年が正しいとすれば、今回解放が1年早められたことになる。その理由が健康上のものなのか、国際的圧力に依るものなのかは分かっていない。しかし、この時期中国が国勢的圧力を気にするということは考えにくいので、理由は健康上のものと思われる。
現地から連絡を受けたジグメ・ギャンツォの友人である亡命中のジャミヤン・トゥルティムはRFAに対し「彼を見た人は彼が『非常に衰弱しており、足を引きずりながら歩いていた。心臓病と高血圧を患っているという。視力も衰えていた』という」と報告する。
アムネスティ・インターナショナルは彼が獄中で何度も拷問或は過酷な扱いを受けた報告する。「最初の6ヶ月間、彼は『尋問部屋』に繋がれ拷問を受けた。1997年には激しい撲打を受け、その後歩行も困難な状態に陥った。1998年、EU調査団がダプチ刑務所を訪問したときに合わせ、多くのチベット人政治犯が『ダライ・ラマを讃えるスローガン』を叫んだ。これを看守たちは暴力的に鎮圧し、その際9人が死亡した。ジグメ・ギャンツォも暴力を受けたが、死は免れた。2009年にも彼は病院に運び込まれている」と。
さらに、アムネスティの報告によれば、「2005年11月に国連拷問特別調査官が彼と会った。この調査官と会ったことにより、その後彼は独房に入れられ、数週間病院に入院している」という。
国連拷問特別調査官は中国当局に対し、ジグメ・ギャンツォの解放を要請している。国連人権委員会・恣意的拘禁に関する作業部会は「彼の拘束は恣意的なものであり、表現、共同、集会の自由に関する権利を侵すものである」という声明を発表していた。
追記:BBCは彼の早められた解放は「腎臓病悪化」を理由としたものと発表。
参照:4月1日付けRFA英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/prisoner-04012013215019.html
2011年1月10日付けアムネスティ・インターナショナル緊急アクションリリースhttp://www.amnesty.org/pt-br/library/asset/ASA17/002/2011/en/da5ea42f-337c-4bb3-a41b-e33c74ea4635/asa170022011en.html
4月1日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/jigme-gyatso-released-after-17-years-in-prison-04012013144821.html
4月1日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-37-19/10351-2013-04-02-04-42-44
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)