チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2013年3月17日
<速報>ンガバ蜂起記念日 3年連続焼身
2008年3月16日のンガバ。部隊に銃殺された死体が横たわる。
昨日3月16日は、2008年にキルティ僧院僧侶が先導し、ンガバで一万人近くが参加する大規模抗議デモが発生した日である。そして、このデモを当局は武力鎮圧し、その結果その日の内に少なくとも23人が銃殺された。2011年3月16日には、この日を記念するが如くにキルティ僧院僧侶プンツォクが焼身し、死亡している(詳しくはhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-03.html?p=2#20120319)。この焼身はその後連続する焼身の先駆けとなった。次の年にも同じ日にキルティ僧院僧侶ロプサン・ツルティム(20)がンガバの路上で焼身抗議を行い、死亡している(詳しくはhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51735234.html)。そして、今年も同じ日にキルティ僧院僧侶が焼身した。
ダラムサラ・キルティ僧院によれば、昨日3月16日現地時間午後2時40分頃、アムド、ンガバ(མདོ་སྨད་རྔ་པ་བོད་རིགས་རང་སྐྱོང་ཁུལ་རྔ་པ་རྫོང་四川省阿壩・チベット族チャン族自治州阿壩県)のキルティ僧院内でキルティ僧院僧侶ロプサン・トクメ(བློ་བཟང་ཐོགས་མེད། )、28歳が中国のチベット弾圧に抗議するために焼身を行った。
僧ロプサン・トクメは僧院内西側にある彼の僧坊の前で身体に多量の灯油を被り、手には仏教の旗を持った後、火を放った。彼は炎に包まれながら西門に向かって走ったが門に至る前に倒れた。直ちに付近にいた僧侶や一般チベット人が大勢集まり、彼を地区の病院に運び込んだ。病院に運び込まれた後、間もなくして彼は息を引き取った。病院には軍隊と警察が大勢押し寄せ、彼の遺体を無理やり奪い、バルカム方面に運び去ったという。
僧ロプサン・トクメはンガバ県ティンケン郷チュクレ・ゴンマ第2地区ロクトゥク家の出身(རྔ་པ་རྫོང་ཁྲིན་ཀན་ཡུལ་ཚོའི་ཕྱུགས་ལས་གོང་མའི་རུ་ཆེན་གཉིས་པའི་རོགས་ཕྲུག་ཚང་)。父の名はロクトゥク、母の名はデポ。彼は幼少時よりキルティ僧院に入り、現在般若学のクラスに通っていた。彼は品行方正で勉強熱心であったという。
2009年以来、内地焼身110人目。内死亡確認92人目。内外合わせ114人目。
焼身者リスト(3月16日更新分)>>>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51781256.html
参照:16日付けTibet Times チベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7466
16日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/108th-self-immolation-in-tibet-03162013143358.html
16日付けphayul英語http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=33215&article=Breaking%3a+Kirti+monk+marks+March+16+with+self-immolation%2c+Toll+rises+to+108
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)