チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2013年1月24日

焼身を行おうとガソリンを被り道にでたが 倒れその場で死亡

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2401a11-300x225ジクチェ・キャプ生前の写真(撮影日不明)

今月19日、アムド、ルチュ(甘粛省甘南チベット族自治州碌曲)シツァン・プンコル村で1人のチベット人若者が焼身抗議を行おうとしたが、火を付ける前に倒れ、その場で死亡したという。彼は遺書を残していた。

19日の朝、シツァン・プンコル村(ཤིས་ཚང་དཔུང་སྐོར་སྡེ་བ་)の人通りの多い場所で、ジクチェ・キャプ(འཇིགས་བྱེད་སྐྱབས་)と呼ばれる若者がガソリンを被ったまま倒れ、死亡した。手にはライターが握られていたことから、焼身抗議を行おうとしていたことは確かと思われる。火を付ける前に倒れ、その場で死亡した原因についてははっきりしたことは分かっていないが、現地の人々はガソリンを飲み過ぎたか、焼身の前に何らかの毒を飲んでいたからではないかと推測している。ヒ素を飲んでいたという情報もあるが、これは未確認。

事件の後、家族が彼の寝床の下から遺書と思われる手紙を発見した。以下その全文を訳す。

-1-(WB2{3@GV6U04残された遺書前半。

私の願いが叶えられますように。2008 チベット独立。母の幼い子であるなら立ち上がれ。雪山(チベット)の若者よ立ち上がれ。雪山の歌い手よ立ち上がれ。ダライ・ラマ法王が千年万年と生きられますように。白き獅子に頂礼いたす。

親族、友人、父と母よ、どうかお体に気をつけられるよう。私は希望と共に実行する。父母はこの世で最愛の人。来世でこの恩を返すために再びお会いする。父よ、息子である私には1つの願いがある。私の願いを叶えたまえ。

私の愛する学友たち、イダム・キ、ツェガ、ラモ・キャプ、ロレ、タムディン・ツォ、ツェテン、スツェ、ラモ・ツォ、アシャク、ラプテン、ゴガ、アムド、ドルマ・ツォ、タロ、ゴメ、ツェリン・ドルマ、ママ、ラモ・ツェテン、ドゥクカル・キャプ、カンド・ツォ、イクギャ・キャプ、ドルマ・キャプ、ニマ、また優しい先生であったラモ・ツォ、ペルギュル、ダワなど健やかに過ごされますように。
(その他、友人たちの名前が連ねられている)

愛する兄よ、どうか父をよろしく。兄、姉、弟よあなたたちの人生が幸福に満ちるよう心から祈る。私の信心の対象は太陽と月と星(ダライ・ラマ、パンチェン・ラマ、ギャワ・カルマパ)である。

遠い場所にいる兄たちよ、私は今そこに行く。目に涙を浮かべ、行く。雪山チベットの苦楽を伝えるために、行く。守り神よ、あなたを思いながら私は行く。チベット人たちよ立ち上がれ。雪山の子供たちよ立ち上がれ。雪山の歌い手よ立ち上がれ。雪の国チベットに幸福が訪れることを祈る。

2012年12月8日(これは「ホルダ」と呼ばれるアムド地方の暦であり、西暦2013年1月19日に当たる)

この事件の後、ルチュ県の警察は家族の下に行き、事件について口外しないように命令し、また速やかに葬式を行う事も命令したと言われる。一般にこの地区では葬儀は一週間後ぐらいに行われると言うが、この命令に従ったのか、22日には葬儀が行われたという。

image遺書後半。

ジクチェ・キャプはシツァン・プンコル村出身。父の名はドゥプカル・キャプ、母の名はデキ・ツォ。家族の話によれば、彼は酒も飲まずタバコも吸わず、親の言いつけをよく守り、良い子であったという。また、チベットに対する思いが強く、以前より、内外の焼身について関心が高かったという。

参照:23日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7229
23日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/jigshey-kyab-in-lhuchu-01232013131459.html
同英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/poison-01232013192823.html

これまでにも、多くのチベット人が焼身を行おうとして、失敗している。ある者は逮捕されその後行方不明になり、ある者はその後当局により殺害された。ディルでは7人が一緒に焼身することを計画していたが、当局に知れ、その内の2人が逮捕され、5人が川に飛び込み死んだという報告もある。インドでも最近若者が焼身を計り、直前に助けられたというケースがある。だが、今回のように焼身直前に倒れ、その場で死亡したというケースははじめてである。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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