チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2013年1月16日

在米チベット人女性が語る甥の焼身

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73341_10151350317699802_1312452720_n今月12日にアムド、サンチュ県アムチョク郷で焼身・死亡したツェリン・タシ(略称ツェベ)。

彼の叔母にあたるVOA(Voice of America)に勤めるツェリン・キは、13日に自身のFB上でツェリン・タシの焼身の経緯、家族の状況等について詳しく報告し、チベットを離れる前幼いツェリン・タシと遊んだ頃の思い出、最近電話で会話した内容等も書きながら、親内を突然失った悲しみを綴っている。

私はすぐに翻訳しようとしたが、文章中にはアムド語が含まれその部分が理解できなかった。そこで、日本にいる友人のチベット人に読んでみてほしいと連絡した。すると彼はすぐに全文を日本語に翻訳して送ってくれた。実は彼の甥も最近焼身し、亡くなっているのだった。同じような境遇であるツェリン・キの綴った文章に特別の共感を抱いたのではないかと想像する。

ツェリン・キは同じくFB上にツェリン・タシが焼身中の映像をアップしている。<閲覧注意>http://www.facebook.com/photo.php?v=400041380082900&set=vb.100002311230160&type=2&theater
なお、ツェリン・キは元ミス・チベットであり、今はVOAの有名アナウンサーである。

原文:http://www.tibetexpress.net/bo/2010-02-06-06-49-13/2010-02-04-05-42-59/9974-2013-01-13-12-38-01
翻訳:@Kakusimpoさん

愛する甥と焼身抗議

土曜日(1月12日、アメリカ時間)の朝、まだ寝ているところに電話が鳴り続く。番号も見ずに電話をとると、泣き声や叫び声などいろんな声が聞こえてきた。故郷アムチョクの方言だ。「強い者たちよ…もう終わりだよ…頑張れ…こっちに来い…前に進め…オンマニペメフン…ギャワ・テンジン・ギャツォ…」私には何も話してこないので、異常事態である事に気づき、すぐに他の村人に連絡した。「お気の毒に、あなたのお兄さんの可愛い子が亡くなってしまったよ」。何を言っているのかさっぱり分からなく、「何が起きたんですか」ともう一度聞く。「あなたの兄ドゥカル・キャプの一人息子が今日の(午後)2時前後に、アムチョクの大通りで自ら身を焼き、亡くなったんだよ」という。

あんなに控えめで優しい子が、どうしてそんなことを考えたのでしょう!

何日か前に兄に電話した時、甥が「お父さん、カカお姉ちゃん(私)と話し終わったら電話を俺に替って、俺も話しがある」と言ったらしい。彼と話しを始めると特に話すこともなく「お元気ですか?いつもテレビを見てるよ。髪を一つにまとめているお姉ちゃんの顔がお月さんみたいだよ。もう少しいいチュパ(チベットの衣装)持ってないの?」なんて言うものだから、「今度カチュ(近くのイスラムの町)に行ったらお姉ちゃんにいいチュパの生地を買って来てね!」と冗談を言った。これが長年会うことのなかった甥との最後の会話となった。

兄ドゥカル・キャプと兄嫁のツェリン・ドルマご夫婦は、長男(甥)ツェリン・タシと、2人の娘タムディン・ツォとツェタル・キ、3人の子供を持つ家庭だった。娘は2人とも嫁に行き、家には兄夫婦と長男(甥)、長男の嫁ユムツォ・キがいた。

私は以前、メディアで焼身抗議するチベット人の状況を訴える放送を行ったり、書いたりした。しかし、今回のことで焼身抗議者の家族の悲しみなど、ほんの少しも解っていなかったのだと身にしみて感じた。家族の涙と泣き声、深い愛情と、疲れ切った心、これらすべてを直に聞いて、生きたままの身を焼く肉親を見送ることの悲しみに耐えることができなかった。

19382_10151456524845337_1444273243_n井早智代さんが今日描かれた「ツェリン・タシに捧げる絵」

ある放牧仲間の話によると、 その日の朝、甥(ツェリン・タシ)らと一緒に家畜の放牧をしていたが、甥が「ちょっと家に行ってまた戻る」と言って、家畜を仲間に預けて去って行ったと言う。ツェリン・タシが家に着くと、母親のツェリン・ドルマに「今日はチュパを着たい、どれが良いだろう」と聞いたという。母親は「今日は寒いから厚い方のスィツァー(毛物のチュパ)を着なさい」と言い、彼はそのチュパに着替えた。そして、再び放牧の仲間たちのところに戻った。しかし、その後すぐに、町に大事な用があるので、すぐ戻るからと言って再び去ってしまった。その時、彼は携帯電話の電源を切り、チュパには何か大きな物が入っていたという。

アムチョクの町でツェリン・タシの焼身の一部始終を目撃したという政府機関に勤める人の話しによると、「街の病院前でチュパを着たチベット人が身を鉄のワイヤーで絞めていた。燃え上がる中で「ギャワ・テンジン・ギャツォ(ダライ・ラマ法王)!」と叫ぶと同時に倒れた。しかし、またすぐに立ち上がり、走り出すと、巡察の警察と軍に発見された。それに気づき逆方向に走ったが、間もなくして崩れ落ち、五分ほど後には息絶えた。あまりにも衝撃的な光景にチベット人らが一瞬呆然としていたが、軍と警察が焼身抗議者に向かって来ているのを見て彼らは一斉に投石し、彼らを近づけないよう抵抗した」という。

その後、親戚の人の話しによると、ある人から「焼身で亡くなっている方がおりますが、お宅のツェリン・タシに似ているが」との連絡が入った。兄たちが現場に着くと、遺体はあまりにも悲惨な状態で、身の確認も出来ないほどであったそうだが、顔の輪郭で自分の子であることを確認したという。街のチベット人らが車などを用意し、遺体をチベット人の人垣で囲み、軍と警察が近づけないようにして、アムチョクのキー村に運ぶことができたという。

法要に向かおうとしたアムチョク僧院の僧侶らは道中で警察に阻止されている。今はキー村の入り口3カ所に警察の車が多数停まって、夜もライトをつけたまま見張っている。他の村からは、代表者一人だけが弔問に来ることを許されただけという。ある親戚の年長者は、「この畜生ら、やり方があまりにも残酷だ!葬式をすぐにやるように命じて、それに反したら、結果に責任をとれと脅迫している、人の風習を完全に無視した人非人だ!」と驚きと怒りが押さえられない口調で訴えた。

私が故郷を離れた時には、ツェリン・タシは7歳か8歳だった。私のことをアチェ(お姉さん)・カカと呼んでいたカカというのは私が学校でカカ(チベット文字の最初の2文字の発音、チベット文字一般の意味にもなる)を勉強していたからだろう。私の親戚は粗暴な性格の人が多かったが、彼は違っていて心優しい物静かな性格だった。兄の一人息子だったのでみんなから愛されていた。小さい頃に私と遊ぶのが好きだった甥のツェボ(ニックネーム)が今は大人になり、ユムツォ・キという素敵なお嫁さんも家につれて来ていた。

なのに突然この世から去ってしまった。生きたまま自らの身を焼き、身の確認すらできない灰になった現実と、未亡人になった若い嫁、そして息子を失った兄夫婦をどう慰めようかと考えた。しかし兄は「ツェボ、もう悲しむことはないよ、私は息子がただで去ったとは考えていないから」と意味ある言葉で、逆に私を慰めた。

兄は何年間も村の村長を経験しており、村と村民の様々な問題解決に欠かせない人物だ。将来をすべて期待していた最愛の息子を失い、気を失うほど悲しむ妻と、夫を亡くした嫁の悲しみを見守りながら、番犬のように村を巡視する軍と警察の脅威の下で、葬式すら思うままにできない状況の彼らにどんな言葉をかけてあげれば良いのか分からなかった。

愛する甥よ、あなたの最後の言葉をいつまでも忘れません。どうか安らかにお眠りください。13年も会うことなく世を去った甥よ、これらすべての出来事が幻覚なのか現実なのか判断に苦しみます。あなたはまだ私の心の中に生きていて、お姉ちゃんと呼ぶ声や輝く目が見えます。愛する私の小さな甥よ。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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