チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2013年1月14日

続報:12日焼身・死亡ツェリン・タシ(ツェベ)強制葬儀

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速報では彼の名前はツェベと伝えられていたが、ツェベは略称と判明したので以後本名であるツェリン・タシ(ཚེ་རིང་བཀྲ་ཤིས་)と表記する。年齢も19~22歳と一致しないが、親族であるVOA(Voice of America)のツェリン・キの報告に従い22歳とする。以下の報告もツェリン・キによる。

74912_399210180166020_42874087_n1月12日、現地時間午後1~2時頃、アムチョク郷の街中の路上で「キ・ホ・ホ!ダライ・ラマ法王よ!( ཀཱི་ཧོ་ཧོ། ༧རྒྱལ་བ་བསྟན་འཛིན་རྒྱ་མཚོ་)」と叫び焼身、その場で死亡したツェリン・タシの遺体は、集まったチベット人たちに守られ家族の下に届けられた。現場では同じく駆けつけた部隊との間に僅かではあるが衝突があったという。

この知らせを聞き、アムチョク僧院僧侶を始め地区の僧侶、尼僧、一般人が家族の下に駆けつけようとした。しかし、当局は多くの警察車両を家に通じる3つの道に派遣しこれを封鎖。家の回りも囲い、弔問者が近づけないようにした。

当局は最初、地区の長老たちを家族の下に送り、直ぐに葬儀を行うよう説得させた。しかし、家長であるツェリン・タシの父ドゥクカル・キャプは「葬儀は伝統に基づき、ラマの指示に従い、周辺の人々が供養した後でないとやれない」と早急な葬儀を拒否した。

彼が拒否したことを知り、サンチュ県の警察署長はラプラン・タシキル僧院にいるアムチョク僧院のラマ、アラ・ベルマル・ツァン(ཨ་ལག་དབལ་མང་ཚང་)を呼び出し、長老や家族に圧力を掛けさせた。警察署長は「もしも、言うことを聞かせられない時は地区全体の責任とする」と言い渡した。また、彼は家長に対し「だいたいお前たちの家族はダライ一味と深い関係にある*。言うことを聞かないとただじゃおかないぞ!」と机を拳固で叩き脅した。父のドゥクカル・キャプは問題が大きくなり地区の人々に迷惑が掛かるのは本意ではないと、やむなく早急な葬儀を承諾した。これを聞き、母のツェリン・ドルマは気を失い、倒れ、病院に搬送されたという。

葬儀は13日(Tibet Timesは12日夜とする)の夜中、行われたが、当局は僅かな人にしか参加を許可しなかった。

ツェリン・タシは結婚しており、妻の名はユムツォ・キ。彼は1人息子であり、地元の人々は「彼は品行方正で、優しかった」という。子供の頃より家畜を大事にし、特に乗馬が得意で、地区の競馬大会で何度も一等賞を獲得していた。父親のドゥクカル・キャプは長年村長を勤めたこともあり、家庭は裕福であったという。

地区の人々の間には、死者を供養することを阻止し、家族の意向を無視して早期の葬儀を強要した当局に対する怒りの声が上がっているという。

中国当局は焼身者が亡くなった後にも、その葬儀に干渉し、規制しようとする。このようは政府は稀であろう。チベット人にとっては死者を安寧に来世に送るための正しい作法、法要は非常に大事な事と思われている。このような干渉を行う事は政府に対する反感、恨みを増長するばかりである。

*ツェリン・タシの叔母にあたる、この情報を伝えたツェリン・キがVOAに勤めていることを指すと思われる。

参照:14日付けTibet Expressチベット語版http://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-37-19/9977-2013-01-13-17-34-50
14日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7189
14日付けphayulhttp://www.phayul.com/news/article.aspx?id=32834&article=Tibetan+self-immolator+forcibly+cremated+following+repeated+Chinese+threats

追加(14日インド時間23時):<閲覧注意>ツェリン・タシが焼身中の映像がツェリン・キにより、アップされた。>http://www.facebook.com/photo.php?v=400041380082900&set=vb.100002311230160&type=2&theater 炎に包まれながら黒こげになっているのに、意識はあるらしく、大きく両手を合わせる。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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