チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2013年1月12日

<速報>今年初めての焼身抗議 若者死亡

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73341_10151350317699802_1312452720_n生前のツェベ

今日12日、現地時間午後1時頃、アムド、サンチュ(甘粛省甘南チベット族自治州夏河県)アムチョク郷アムチョクの街中で1人のチベット人若者が中国政府のチベット圧政に抗議するために焼身、その場で死亡した。

若者の名前はツェベ(ཚེ་བྷེ་またの名をツェリン・タシ)、22歳。アムチョク郷キ村(མདོ་སྨད་་བླ་བྲང་བཀྲ་ཤིས་འཁྱིལ་གྱི་ལྷ་སྡེ་ཨ་མཆོག་ཚོ་བ་བརྒྱད་ཀྱི་ནང་ཁོངས་སྐྱིད་སྡེ་བ་ 阿木去乎郷吉村)出身。父の名はドゥクカル・キャプ、母の名はドルマ・ツェリン。

400052_10151350320934802_828359106_n彼の遺体は当局に奪われることなく、チベット人たちにより家族の下に届けられ、僧侶たちにより法要が行われているという。

その他の詳細は今の時点では伝えられていない。情報網監視が厳しく詳しい情報を伝えることが難しい状況という。

追記:RFAに現地の目撃者が伝えたところによれば、彼は焼身しながら、「ダライ・ラマ法王のチベット帰還を!法王に長寿を!チベットには自由が必要だ!」と叫んだという。

追記2:VOAのツェリン・キは焼身したツェベは自分の甥であるといい、焼身の状況と共に、彼の生い立ちや焼身後の家族の状況等について詳しく報告している。その中、ツェベは別名ツェリン・タシ、父は元村長、姉妹が2人いるという。結婚しており、妻の名前はユムツォ・キ。焼身時、チベット服を着てその上に(部隊に連れ去られることを阻止するために)有刺鉄線を巻き付け、アムチョク郷の街中の路上で焼身。部隊が近づこうとしたが、チベット人たちがこれに石を投げ彼を守り、自宅に送り届けた。当局は自宅に通じる道を封鎖し、アムチョク僧院の僧侶や付近の村人たちが法要のために彼の自宅に向かおうとするのを阻止。また、家族に対しては直ぐに葬儀を行わない場合には厳しく罰すると脅したという。

彼は焼身の日、朝普段と同じように家畜を見るために牧草地に出かけた。少しして、家に帰り、母親に「今日はチベット服を着ようと思う」と告げた。母親も「今日は寒いからそれもいいだろう」とチベット服を着させた。その後、一旦牧草地に帰り、仲間に「ちょっと街に行く用事があるから、その間家畜を見ておいてくれ」と告げ、街に向かったという。

去年12月9日以来、焼身の情報は一ヶ月以上途絶えていた。このまま焼身は終わるのではないかという観測も流れていた。焼身が途絶えていた理由としては、焼身抗議のターゲットとなっていたと思われる、中国の新指導部が選出された18大大会が終わったこと、焼身者の家族、地域、遺体を運んだ者や供養した者も罰し、焼身を助けた者や唆した者には殺人罪を適用するという、厳しい当局の対応等が原因ではないかと推測されていた。今日の焼身により、このような当局の厳しい弾圧にも関わらず、チベット人の焼身は決して終わってはいないと印象付けられた。

内地焼身者99人目。内死亡確認83人目。09年以降内外合わせ102人目。内女性15人。
内甘粛省甘南チベット族自治州における焼身は20人。内サンチュ県の焼身は11人。内アムチョク郷の焼身は4人目。

参照:12日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7184
12日付けVOT中国語版http://www.vot.org/?p=20857
12日付けphayulhttp://phayul.com/news/article.aspx?id=32825&article=Breaking%3A+Tibetan+youth+sets+self+on+fire%2C+Toll+rises+to+96+in+Tibet
12日付けRFA英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/burn-01122013095415.html

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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