チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2013年1月7日
最新ダライ・ラマ法王インタビュー
6日付けでインドの代表的TV局であるNDTVが46分に及ぶダライ・ラマ法王へのインタビューを放映した。インタビューのビデオは>http://www.ndtv.com/video/player/your-call/your-call-with-dalai-lama/260899
第一の質問は最近デリーで起った1人の女性に対するレイプ・殺人事件に対するコメントを求めるというものであった。しかし、その他、チベットの政治的問題、中国の新指導部への見方、焼身に関する質問、最後に人生の意味について等と広範囲の質問が出され、法王がこれらの質問に対し丁寧に答えられている。
全般的にはこれといって、新しいコメントは見当たらなかったが、以下に「チベットの独立」「中国の新指導部」「チベット人焼身」に関する質問に対する法王のコメント部分だけを選んで日本語に書き出してみた。
法王の話の中で私が今までに聞いてなかったと感じたコメントが2つだけあった。1つは独立路線に対する質問の中で法王は「中国と新しい真の共同体を作り上げること(=中道路線)を試させて欲しいのだ。もしも、それが失敗したなら、別の道を考えなければならないであろう」と発言されている部分だ。後半の「もしもそれが失敗したなら、別の道を」という「中道路線が失敗したなら独立路線(?)」もあり得るという含みを込めた発言を聞くのは初めてのように感じた。
もう1つは焼身に対する質問に対し「焼身を止めよ」と明言するには「それに変わる提案がなければならない。しかし、我々にはその提案が何も無いのだ」というコメントだ。質問者が「あなたは焼身を止めるようにと訴えられるのか?」との問いに、法王は「イエス」と答えた。しかし、その後すぐに首相の「奨励しない」という言い方を引用し、積極的に「止めよ」というには別の手段、方策を提案すべきだが、自分たちにはそれが無いのだとおっしゃったのだ。これを例えて苦しみに耐えきれず「安楽死」を求める患者に対応する医者のようなものだと言われた。
NDTV:多くの若いチベット人が独立を求めているが。
ダライ・ラマ法王:もちろん、歴史的にはチベットは独立国家だ。これは疑問の余地のないことだ。しかし、将来のことを考えなければならない。例えば、EUの考え方を見てみよう。個々の利害より共通の利害がより優先されるというものだ。個々の利害は共通の利害に強く結びついているからだ。嘗て(インドの)Vinoba氏がABC共同体という構想を提案した。Aとはアフガニスタン、Bはビルマ、Cはスリランカである。そしてここにインド、パキスタンが含まれる。これらの国々が某かの共同機構をもつという構想だ。これは長期的、現実的アプローチだと思う。もしも、これが実現されていれば、今のアフガニスタンももっと安定していたであろう。バングラデッシュもパキスタンもだ。
だから、もちろん我々(中国とチベット)は別々の国家ではあるが、これに固執する必要はないと考える。新しい真の共同体を作り上ることを試させてほしいのだ。もしも、それが失敗したなら、別の道を考えなければならないであろう。実際、我々の中道路線は、中国の知識人を中心に多くの中国人の支持を得ている。2008年危機の後、中国人の中国語による(チベットに関する)記事が約千本発表されたが、全て中道路線を支持し、自国の政策を批判している。中国人の支持、特に知識人の支持は非常に大事なことだ。
多くの若者たちが感情的に「おお、我々は独立を求める」と表明するが、彼らは一度も段階的にどのようにして独立を達成すべきか示したことがない。(独立を求めたとして)中国人からどれほどの支持を得ることができるであろう?インド政府から、EUから、アメリカからどれほどの支援を得ることができるであろうか?現実的に考えることが大事だ。独立を口にすることは簡単だが、現実にはそう簡単ではない。
NDTV:新指導者である習近平に対して楽観的な見方をされるか?
ダライ・ラマ法王:判断するのは早過ぎる。しかし、何れにせよ、自分たちの利益のためにも、もっと現実的なアプローチを選択すべきだ。力の行使は時代遅れだ。更なる暴力、更なる弾圧は当然更なる反発を生む。だから、新指導部は知識人たちの助けも得て、遅かれ早かれ何れ鄧小平が言ったように「事実から真実を求める」という態度、より現実的なアプローチを採用するであろうと私は確信している。所謂少数民族の問題、チベットや、モンゴルの問題その他の問題に対しても彼(鄧小平)は基本的に平等を強調し、より現実的なアプローチを行っていたと思う。彼は漢民族至上主義に反対していた。しかし、この何十年かこのような考えが消え去ってしまった。
NDTV:中国は焼身は仏教の教えに完全に反するという。あなたは焼身した人々をどのように見ておられるのか?彼らを殉教者と見なされるのか?
ダライ・ラマ法王:厳密に仏教的観点から言えば、最終的には個々の「動機」に依ると言うべきだ。これはケースバイケースであり、その善悪を一般化することはできない。これは個々の動機に依るのであるからそれを正確に知ることは不可能だ。
去年、日本にいた時に沢山の焼身のニュースが入った。その時、私は「今こそ中国政府はこの悲しい出来事の原因を調査すべきだ」と発言した。これらの事件は何かの原因に起因する現象であるからだ。私は非常に悲しく感じる。しかし、彼らはそのような決定を下したのだ。それは、酔っぱらっていたとか、家庭内の問題を抱えていたとかではないのだ。彼らはこの2、3世代の間、本当に苦しみ続けたのだ。
だから、私が彼らに何かを言うためには、こちらから(代わりに)何か提案することがなければならない。しかし、私にはそれが何もないのだ。私には悲しみと共に祈ることしか残されていない。その他には何もできないのだ。(一方)中国政府は何かすることができる。だが、彼らは単に他人を批難することしかしない。これは問題を解決することにはならない。だから、今こそ、その原因を深く調査することをはじめなければならないと言うのだ。彼らはこの焼身という事件にもっと真剣に取り組むべきだ。
NDTV:(焼身者が)95人というのは多い。あなたは「焼身を止めるように」と訴えるのか?若い女性や僧侶が焼身している。あなたは彼らにそうしないようにと訴えるのか?
ダライ・ラマ法王:そうだ、私は以前にもそう言った。この質問は政治的に敏感なことだ。政治的指導者(センゲ首相)は最初から、非常にはっきりと「我々はそのような行為を決して奨励しない」と明言している。しかし、同時にもしも我々が彼らに何かを提案することができて初めて「やってはいけない」と言うことができるのだ。このような方法があると提案することがあればだ。しかし、我々には彼らに提案できることが何もないのだ。例えば、病院で酷い苦しみに耐えかねて、医者に殺してくれと頼む患者がいたとしよう。この時、もしもその医者がその苦しみを軽減したり、無くする方法を知らなかったとしたら、どうすればいいのか?これは難しい問題だ。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)