チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2013年1月6日

内地チベットからの手紙 その2 「非暴力の石柱」

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昨日の続きhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51775399.html。最近チベットから送られて来た手紙。この手紙を書いたチベット人は去年11月8日にレゴンで焼身、死亡したケルサン・ジンパ(18)の親しい友人と思われる。

2361cb7b焼身後ドルマ広場に横たえられ、僧侶たちにより手厚く供養されるケルサン・ジンパ

十八大大会に合わせた焼身 団結・和解するチベット人

ケルサン・ジンパが焼身抗議を行ったのは2012年11月8日である。この日付は象徴的な意味を持つ。この日、中国国内、国外の多くの人々が注目する第十八回党大会が始まったからである。この日に合わせ、レゴンが含まれる黄南チベット族自治州の共産党書記等が北京に集まっていたからだ。

この事件を聞き、黄南州の共産党書記は急遽地元に引き返した。そして、レゴン全域に厳戒態勢を敷き、一般の役人も動員して日夜街の警戒に当たらせた。

このような厳戒態勢にも関わらず、ケルサン・ジンパの葬儀には数千人のチベット人が参加した。そして、葬儀を通じチベット人たちは団結を強化し、チベット人としての道徳的自覚を新たにした。

この葬儀を契機として、チベット人同士の争いが終結した。例えば、レゴン・シャダン地区とレゴンチュマ地区の争い、3~40年続いていたレゴン・ドワ地区とラダン・アチョク地区の争いが和解に至った。その他、チベット人同士の個人的な恨みも自然に解け去った。

矛盾するプロパガンダ

北京から帰った黄南州の共産党書記はTVインタビューの中で「焼身を行った者たちは、家族問題、経済問題を抱えていた者、或は精神病患者であった」という偽りのプロパガンダを行った。

また一方で、「焼身が発生した地区は、医療保障、補助金が停止され、電気も止められる」と発表した。

もっとも、チベット人の中で中国側のプロパガンダである家族的、経済的理由による焼身という話を信じる者は誰もおらず、チベット人たちはケルサン・ジンパを含む多くの焼身者が残した最後の言葉に強く鼓舞され、希望を共にしたのであった。

ケルサン・ジンパの経歴の中にも書いたが、彼が焼身した原因の1つは強制的に僧侶を止めさせられたことにあると思われる。当局がこのように焼身の原因を偽ることは、残された家族や親族の心を非常に苦しめることである。

脅し続けられる哀れなチベット人の話を誰に聞かせるべきか?目に涙を浮かべ、心が煮えたぎる人々の正義の証人に誰がなってくれるのか?

実際には、ケルサン・ジンパはドワ地区においてもっとも裕福な家庭の子供であった。その上、愛情深く、幸福に育つという幸運にも恵まれていた。彼の叔父は人気のあるラマであり、学者でもあった。その叔父がロンウォ僧院で彼の教師であった。

このようにケルサン・ジンパが明らかに豊かで愛情深い家庭に育ったにも関わらす、それを偽って伝えることは残された家族やチベット人の心に冷水を浴びせるに等しいことである。

北京の外務省の報道官は国際メディアに対し、焼身は「ダライ一味」が煽動したものである、と発表している。この外務省の発言は誰の目にも明らかなように、黄南州の党書記の発言と食い違い、矛盾している。これは、国際メディアの前で嘘をつく時にちゃんと事前に嘘の口合わせを行っていなかったということだ。

d19376f3ケルサン・ジンパの葬儀

壮絶な最後 焼身者たちの真の訴え

今、再びケルサン・ジンパを思い出す時、そこには常に笑顔をたたえた、明るい彼がいる。彼は常に穏やかに話し、年長者の前では常に頭を低くして敬意を示した。見知らぬ人でも、彼が由緒ある家庭に育ったことを感じることができたであろう。

こうして、キーボードを叩いている今、彼のことを思い出し、涙が止まらない。

2012年11月8日、午後4時頃、18歳のケルサン・ジンパは若き身体に灯油を浴びせ、自らに火を点けたのだった。炎に包まれながらも、拳を高らかに振り上げ、「民族平等!言語自由!環境保護!」と叫び、170歩以上走ったのだった。

最後に、ロンウォ僧院ドルマ(ターラ菩薩)広場のターラ菩薩像の右側まで来て、力つき倒れた。しばらくして彼は骨だけになった。彼はチベット人と仏教のために焼身したのである。私は次の世代のチベット人たちもこの事実を忘れないでほしいと祈る。また、世界の人々が彼の訴えを聞くことを願う。

ここで、私はもう一度、明らかにしておきたいと思う。ケルサン・ジンパを含め、全ての勇敢なチベット人が究極的犠牲である焼身を行った原因は、誰かに唆されたり、無謀や無知からではないということをだ。

例えば、ケルサン・ジンパに関して言えば、彼の両親、祖父母はまだ存命しており、優しい、叔父、兄その他の親族に囲まれていた。他の人々と同じように、彼もこのような優しい親族と別れたいなどと思ってはいなかったはずだ。

しかし、彼はこの不幸な道を選択せざるを得なくなったのだ。尊厳と共に、チベット人の自由のために、中国政府の弾圧に抗議するために。

唯一の選択枝 非暴力の石柱

もしも、自分たちの意志を公然と表明できる空間、環境があったならば、間違いなく彼は他の人々と共に、自由、平和、宗教、言語、環境を守るために横断幕を高く掲げていたであろう。

しかし、このような専制的権力の下では、そのような機会を得ることは夢でしかない。

中国のメディアは、焼身者たちに敬意を示し、彼らの要求に答えるにはどうしたら良いかを論じる代わりに、焼身者を批難し、敵対勢力に唆されたと決めつける。

このような見方をする主な理由は、中国人の間に広まる焼身者やチベット人一般に対する見方にあると思われる。彼らはチベット人を非文明的、野蛮な、寄生虫のような、無知で動物的な存在であると見なしているのだ。

この横暴な専制国家の反応は言うに及ばずとしても、民主主義と平和を提唱する国連、EU、アメリカその他の国々でさえ、彼らの要求、スローガンに耳を貸そうとしないのだ。

彼らは勇気と決意と輝く精神と共に、自らに火を放つことにより、自由と平和を享受する世界にアピールすると同時に、我々チベット人の目を覚まさせようとしているのだ。

ケルサン・ジンパを含めた100人近くに上るチベットの焼身者たちは、この世界に非暴力、自由、平等、解放の石柱をうち立てた。この石柱は将来永きに渡り人々の心の中に生き続けることであろう。 

了。

参照:1月2日付けTibet Sun http://www.tibetsun.com/opinions/2013/01/02/remembering-martyr-kalsang-jinpa

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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