チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年12月30日
スジャスクールの生徒103人が2日間75キロの「チベット連帯行進」
北インドの田舎を歩く生徒たち(この写真はTbet Expressより)
TCVスジャスクールはダラムサラの南東75キロほどのところにある。この学校はチベットから勉学の機会を得るために亡命してきた子供たちの内、正規の小学一年生から始めるには遅過ぎると判断された入学時14歳以上18歳未満の子供たちが勉強する学校である。その子の成績により飛び級制度があり、多くの子供が案外早く中学卒業、高校卒業まで至る。その後、もちろん成績がよければ大学にも行くことができる。ほぼ全員家族をチベットに残して来た子供たちであり、年齢も高いので、全体に政治意識が高い。現在約900人が在籍する。
最後の急坂を登り切り、夕方マクロードからツクラカンに向かう生徒たち。
今回のこのダラムサラまでの長い行進は、最初クラス10(高校1年生)の2人の生徒が自分たちだけで行おうと計画していたという。その計画を知り、多くの同級生が自分も参加したいと申し出て、最終的にはこれまでの内外焼身者の数に等しい103人が集まったという。(103人という数字は1998年のトゥプテン・ゴドゥップから数えた102人にカルカッタで投身抗議を行ったドゥンドゥップ・プンツォhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51739166.htmlを加えたか、或はフランスで焼身抗議を行ったと思われるイギリス人僧侶トンデンhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51769602.htmlを加えたと思われるが確認していない)。道中何かあったらいけないというので、スジャスクールの校長さんと教頭さんも一緒に歩かれた。
生徒たちは、チベット国旗、法王の写真、焼身者の写真を掲げ、それぞれ胸に焼身者の名前を書いた白い布を付け、チベット内には言論の自由がないということを象徴するために口を黒いマスクで覆い歩いた。
12月27日の早朝7時に学校を出発し、その日の夜は途中のTCVゴパルプールに泊まり、次の日の夕方5時頃ダラムサラに到着し、ツクラカン傍にある雄者の塔の前で集会を開き、解散した。
最初は3日間の予定だったところを2日に短縮して実行。2日目は40キロ以上歩いたのでダラムサラに到着した時には相当疲れた様子の子供もいた。足に豆ができて、杖をつき、足を引き摺りながら歩く女の子も少なくなかった。
行進の目的は、焼身抗議を行った人々とその家族への連帯を示し、国連はじめ世界の人々へチベットの現状を知ってもらい、行動を促すため。内地で言語と文化を守るために立ち上がった学生たちに連帯を示すため。全てのチベット人に目を覚まし立ち上がることを促すため、という。
この行進を先導した高校一年生のクンチョク・リンチェンは「自分たちがこうして集まっているのは自分たちの国ではなく自由がある他人の国だ。チベット人は今、生死が掛かった、この地球上に存在するか消え去るかという危機的状況の中にあると知るべきだ。チベットの中では多くの人たちがチベットのために命を捨てている。特に、16、17歳の若者も沢山焼身している。彼らは外の世界に対し、彼らが中国の下に暮らしたくないということを表明している。今こそ、内外のチベット人が心を1つにして闘うことが重要と思う」と話す。
行進参加者の中にはラモ・キという、今年3月10日の蜂起記念日にダラムサラを出発し叔父とその母と一緒に「ラサ帰還行進」に参加し、ネパール国境まで数ヶ月かけて歩いた女の子もいた。叔父であるツェテン・ドルジェはネパールに入ったところでネパール当局に逮捕され2年の刑期を受け現在ネパールの刑務所に入れられている。
このラモ・キに焼身について聞いてみた。「焼身者たちはチベットの国と人々のために焼身しているが、私はあまり良いこととは思わない。チベット人の数は多くない。こんなに沢山の人が焼身するとチベット人が減ってしまう。他の抵抗方法を探る方が良いと思う。私は今はTCVダラムサラにいてスジャにはいない。でもスジャには長くいた。今回友人から歩く人が足りないと聞いたので、是非参加したいと思って一緒に歩いた」と話し、さらに、「政府やその他の団体の活動に期待はしているが、これまでに生徒自体が率先して活動するということは少なかったと思う。様々な人たちがそれぞれできることを実行するのが良いと思う」と続けた。
ゴンギェルという生徒に「チベット人の活動は効果していると思うか?」と聞いてみた。「内外のチベット人が100人も焼身しているが、それに見合う結果は得られていないと思う。自分は、チベット人が一致団結していると感じることができない。年長者の多くは若者に対し『生活力を付け、仏教を信じるように』と諭す。これはチベットの闘いを利するより害するほうが大きいと思う。将来的にもチベットの闘いを成功させるには一致団結することが大事と思う。今回この行進に参加したきっかけは、最近内地の学生7000人が民族と言語自由のために立ち上がったということを知り、自分たちも何かやるべきだと思ったからだ」と。
参照:29日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7125
28日付けTibet Expressチベット語版http://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-35-27/9895-2012-12-28-09-24-33
28日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/peace-march-12282012123027.html
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)