チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2012年12月27日

Le Monde アムド潜入取材 前半

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599713_10200155716325186_1207568361_nフランスの有名な新聞であるルモンド(Le Monde)は12月25日付けで「チベット潜入取材」の記事を発表した。

紙面の上方に大きく雪の中に立つチベット人僧侶の顔を載せ、横には「チベット、焼身の国で」と大きく書かれ、その下には「今では焼身するのは僧侶だけではない、農民、工民、学生もダライ・ラマの帰還を求め焼身する」と書かれている。

ルモンドの記者は最近、焼身が続くアムドのサンチュ(夏河)県とルチュ(碌曲)県を訪れた。郷としてはサンチュのアムチョク(阿什合曲)郷とサンコク(桑科)郷、ルチュのアラ(阿拉)郷に至り、11月中に焼身した3人の家族に会っている。(ルモンドの記事は>http://www.lemonde.fr/a-la-une/article/2012/12/25/voyage-a-travers-le-tibet-persecute-sur-la-route-des-immoles_1810159_3208.html

3人とは11月20日にアムチョク郷で焼身、死亡したツェリン・ドゥンドゥップ(34)http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770091.html、11月26日にサンコク郷で焼身、死亡したトゥプワン・キャプ(23)http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51767074.html、同じく11月26日にアラ郷で焼身、死亡したゴンポ・ツェリン(24)http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770883.htmlと思われる(ツェリン・ドゥンドゥップとゴンポ・ツェリンは名前を上げられておりはっきりしているが、トゥプワン・キャプについては推定である)。

もちろん、この地域における当局の警戒は厳しく、彼らは常に夜中に移動したという。「至る所に完全武装した警官と軍人がいる。バリケードが築かれ、僧院や大きな道の交差点には必ず監視カメラが設置されている」と書かれる。

甘粛省の甘南チベット族自治州当局は最近焼身に関わった者は殺人罪に処すると発表し、高額の報奨金を約束し密告を奨励している。そのような危険な状況にも関わらず、勇敢な遊牧民たちの導きにより彼らは焼身者の家族たちに会うことに成功したという。

記事とは別にネット上にその潜入取材中に撮ったという非常に貴重な写真が14枚発表されている。以下、その写真を全て紹介しながら、そこに付記されている説明を訳すと共に、その他記事に書かれている情報を幾つか補足する。(14枚の写真は以下にアクセスすれば大きく載っている>http://www.lemonde.fr/asie-pacifique/portfolio/2012/12/25/voyage-au-c-ur-de-la-region-tibetaine-des-immolations_1809649_3216.html

写真のクレジットは全てAdam Dean/PANOS/REA pour Le Monde

11、2009年以来、100人近いチベット人が、中国当局の圧政に抗議し、1959年インドに亡命した彼らの精神的指導者であるダライ・ラマの帰還とチベット人地区の自由を求めて焼身している。11月だけでも28人が焼身した。その中の1人は11月26日に甘粛省甘南の僧院の中で焼身した23歳、3児の父であるゴンポ・ツェリンである。

32、彼の家族の家にはゴンポ・ツェリンを偲ぶために荘厳された仏壇が作られていた。そこには目立つ場所にダライ・ラマの写真が何枚か掲げられていた。中国は公共の場に彼の写真を飾ることを禁止している。中国は、この77歳になるチベット人の精神的指導者を危険な「分裂主義者」と決めつけているからである。しかし、ダライ・ラマはインドのダラムサラに亡命して後、一貫して独立を求めず、自治を求めている。北京と彼の特使との間で行われた会談は全て失敗している。

ここには書かれていないが、ウーセルさんの話によれば、ゴンポ・ツェリンの父親と祖父は彼が焼身した10日後に連行され、今も行方不明のままという。

333、チベット仏教の教えに従い、死後49日間、僧侶たちによる法要が続けられる。村人たちは焼身により亡くなった人々を讃える。中国当局はダライ・ラマに対し焼身を煽動していると非難する。焼身者がもしも、死ななかった時には、社会の秩序を乱したとして殺人罪に問われる。そして、家族は賠償金を払わされる。

54、12月16日、甘粛省にあるゴンポ・ツェリンの村で出会った1人の男性(仏壇に捧げるトルマを運んでいると思われる)。当局は焼身者の葬儀に参加したものを逮捕すると脅している。チベット人作家、ブロガーであるツェリン・ウーセルによれば「この新しい規制はとても具体的であり、焼身者の家族に寄付(香典)を与えたり、葬儀に出席したものは厳しく罰せられる」という。
(ウーセルさんは取材を終え北京に帰ってきたルモンドの記者と直ぐに会っている。その時の話は20日付けのRFAに発表された後、26日の彼女のブログに再掲されている。http://woeser.middle-way.net/2012/12/blog-post_2692.html

65、甘粛省でもっとも大きな僧院の1つであるラプラン僧院の巡礼者。チベット人たちはこの地方をアムドと呼ぶ。18世紀に中央チベットから離れ、20世紀初頭中国に正式に編入された。この僧院の近くでも何件かの焼身があった。僧侶たちは当局の宗教弾圧に抗議している。

46、焼身した息子の写真を手にする父親。彼(ツェリン・ドゥンドゥップ)は自宅から遠くないアムチョク郷にある金鉱開発地で焼身、死亡した。35歳であった。多くのチベット人が彼らを利することのない鉱山開発に反対している。

記事の中には中国語が堪能だったという焼身を目撃したチベット人の話が紹介されている。「自分は焼身をこの目で実際に目撃した。焼身したチベット人たちはみんな、個人的な苦しみを除くために焼身しているのではない。我々チベット人みんなのため、社会のために焼身したのだ。だから、讃えられるべき行為だと思う。以前は僧侶たちが焼身していたが、今は普通の人たちが焼身している」と。

全部一気に載せようとおもったが、ちと長くなるので、続きはたぶん明日ということで。

その他参考:26日付けVOT中国語版http://www.vot.org/?p=20258

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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