チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年12月25日
焼身のスンドゥ・キャプ 両足切断か? デブン僧侶無期宣告の後行方不明
12月2日にアムド、サンチュ県ボラ郷で焼身した17歳のスンドゥ・キャプhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51771516.html、彼は焼身の後、部隊によりツゥ市の病院に運び込まれていた。昨日付けRFAによれば、ツゥ市の病院では治療不可能と判断され、その後甘粛省の州都である蘭州の病院に運ばれたという。
そして、最近警察と病院が彼の両親を蘭州の病院に呼びつけ、「スンドゥ・キャプが生き延びるためには両足を切断せねばならない。その承諾者にサインしろ」と迫った。両親は彼の病室に入ることを許されず、ドアのガラス越しにしか彼を見ることができなかったという。
10月20日に焼身、死亡したラモ・キャプの親友が行方不明
同じく現地ボラからの情報をRFA に伝えたサンチュ・ドゥクベによれば、10月20日にサンチュ県ボラ郷で焼身、死亡したラモ・キャプhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51766223.htmlの親友であったペマ・ツェワンが同じ日にアムチョク郷で突然警官に頭から黒い帽子を被せられ、車に押し込まれ連行された。彼はその後行方不明のままという。
ボラ郷には最近、付近の街からボラ郷出身の政府職員が集められ、それぞれの職員にある特定のグループを指導、監視する任務が与えられている。特にボラ僧院は厳しい監視下におかれ、ブラックリストが作成され、そのリストに載る僧侶は一日中監視されているという。
地元のチベット人によりチベット人を監視させるというやり方である。
参照:24日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/bora-news-amdo-12242012134030.html
25日付TCHRDリリースhttp://www.tchrd.org/index.php?option=com_content&view=article&id=334%3Atibeta-self-immolator-battling-for-life-may-lose-both-legs&catid=70%3A2012-news&Itemid=162
08ラサ蜂起後逮捕されたデブン僧院僧侶2人が行方不明のまま
2008年3月のラサ蜂起のきっかけとなったのは、3月10日にデブン僧院僧侶数百人によるラサに向かっての平和的抗議行進であった。行進は途中で警官隊により阻止された。その後、デブン僧院は封鎖され、兵糧攻めに遭った後、多くの僧侶が逮捕され、暴行を受けた。また、カム、アムドの僧侶たちは全て地元に送り返された。
多くの僧侶が刑期を受けシガツェ地区のニャリ刑務所やラサのチュシュル刑務所に収監されていることが判明している。しかし、関係者が手を尽くして捜索しても、未だ2人の僧侶が行方不明のままという。
1人はデブン僧院ロセリン学堂の戒律師であったペンボ・ルンドゥップ出身のジャンペル・ワンチュク(58)である。彼は2008年4月11日に中国が言うところの「3・14暴動」の煽動者として逮捕された。しかし、当局はその後証拠を示すことができず、結局経済犯として無期懲役の刑に処するということを僧院内で発表した。そして、その後、家族等関係者が捜索しても、どの刑務所に収監されているのか等の情報を全く得ることができず、行方不明のままという。
もう1人はデブン僧院の教師であったンガバ州ゾゲ出身のクンチョク・ニマ(44)である。彼も同じく4月11日に「3・14暴動」の煽動者として逮捕され、その後、刑期20年、政治的権利剥奪5年と発表された。そして、今に至るまでどの刑務所に収監されているのかも分からず、行方不明のままである。
もう1人、同じ日に逮捕され、行方不明となっていたデブン僧院ンガクパ学堂の教師ガワン・チュニ(42)は最近になってやっと、7年の刑を受けラサのチュシュル刑務所に、他のデブン僧院僧侶たちと共に収監されていることが判明したという。
参照:24日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/jamphel-wangchok-unkown-12242012131512.html
25日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7110
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)