チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2012年12月12日

ダライ一味の命を受け「焼身を唆した」犯人が逮捕されたと中国 亡命政府の反論

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171f1823今回、中国当局によりダライ一味の命を受け「焼身を唆した」とされた僧ロプサン・クンチョク。

12月9日に新華社が「ダライ一味の指示を受け、住民に焼身自殺を扇動・強要したとして四川省ンガバチベット族・チャン族自治州のチベット仏教僧侶(40)と男性遊牧民(31)を逮捕した」と報じた。このニュースは日本の各新聞社も伝えた。
元記事の中国語は>http://news.xinhuanet.com/legal/2012-12/09/c_113960646.htm
英語は>http://news.xinhuanet.com/english/china/2012-12/09/c_132029258.htm

記事によれば、この2人のチベット人の扇動、教唆により、8人が焼身し内3人が死亡したという。

ンガバ警察の報告によれば、「僧ロプサン・クンチョクは海外のメディア連絡チームの要請を受け、地位と影響力を利用して、焼身は仏教的教義に反してはおらず、焼身を行った者は『勇者』であると言い、焼身するよう煽動した」という。また、彼は「焼身の事実を海外に伝えることで本人と家族が名誉を得ることを約束した」とも言う。僧ロプサン・クンチョクは甥であるロプサン・ツェリンをその助手として雇ったとする。

さらに警察によれば、「誰かが焼身することに同意した場合には、2人は彼らと家族の情報を記録し、写真を撮り、情報をインドへ伝えることを約束した」。そして、実際に焼身が行われた時には直ちに、携帯電話を通じ、海外の『チベット独立』組織に連絡し、その状況その他の情報を伝えた」という。

「2人は何人かを焼身するよう説得したが、彼らはその後、家族や地方役人、警察職員の介入によりその考えを捨てた」

「その内の2人は僧ロプサン・クンチョクの即時焼身を促す執拗な追求を逃れるために、他の街に逃げた。彼らは2人が警察に逮捕されて初めて街に帰ることができた」とも言う。

僧ロプサン・クンチョクは8月13日にロプサン・ツェリンは8月15日に逮捕されたと記されている。
(亡命側には僧ロプサン・クンチョクは8月17日に理由不明のまま拘束されたと伝えられている。参照過去ブログ>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51759180.html

タイミングが良過ぎ

実はこの記事が発表された日の午前中に、人民日報は「他者の焼身を扇動、幇助した場合には故意殺人罪を適用する」と言う記事を発表している。これは3日付甘南日報の記事を6日後に転載したもの。最高人民法院、最高人民検察院、中国公安部が連名で公布した「法に基づいてチベット地区焼身事件を処理するための意見」について伝えたものである。

この中で最近、チベット人居住区で相次ぐ焼身は、中国内外の敵対勢力による国家分裂・民族団結破壊の陰謀だと断じ、焼身を組織、計画、扇動、教唆、強要した場合には殺人罪を適用すると断言している。

誠にタイミングよく、この罪が適用されるケースが今回明らかになったというわけだ。それも4ヶ月前に逮捕されていたチベット人が今回やっと自白したというのだ。

海外のメディア連絡チーム

ンガバ警察が言うところの「海外のメディア連絡チーム」とは、まず間違いなく「ダラムサラ・キルティ僧院の内地情報収集係りの僧ロプサン・イシェと僧カニャク・ツェリン」のことであろう。彼らはンガバで起った焼身やデモの情報をいち早く伝えている。そのソースはもちろん明かされていないが、彼らは複数の情報元からの連絡を受け取らない限り、単一の情報だけで発表することはまずない。

彼らはただ僧院から情報収集の仕事を任されているだけであり、中国いうところの『チベット独立』組織とは全く縁がない。ダライ・ラマ法王とも、亡命政府とも直接的な関係はない。

また確かに焼身者の写真がかなり素早く発表されることもあるが、これらの写真をみれば分かるが、前もってちゃんと撮られたと思われる写真は皆無である。その多くはダラムサラのキルティ僧院にも飾ってある全員集合写真から、当該の焼身者を見つけ出し、それをトリミングして発表されたものである。だからはっきりした写真であることはまずない。また、元僧侶でその時点で還俗している人の写真も僧侶時代のものが代用されることが多い。前もって準備されていたとは到底思われない。

警察は2人が「8人の焼身を唆し、その内3人が死んでいる」というが、その氏名は明らかにされていない。今、2011年3月16日にンガバで焼身した僧プンツォ以降、彼ら2人が逮捕された2012年の8月までのンガバにおける焼身者を調べると、19人いることが分かる。その内今も生死不明な者の数は5人である。彼らはちょうどこの5人を含めた8人を唆したということになる。「8人の内3人しか死んでいないのか」と思わせるために、わざと生死不明者を多く選んだとも考えられる。

チベット亡命政府の反論

この記事が発表された後、直ちにチベット亡命政府首相センゲ氏は「我々は中国当局が調査チームをダラムサラに送ってくれることを要請する。いつでも準備ができている」と発表し、「拷問と正規の法的手続きを経ることなく個人を拘束することで有名な国のこのような発表は、国際コミュニティーにより疑いの目で見られるだけであろう」と述べ、「もしも中国が本気で焼身を終わらせようと望むなら、相手を非難してばかりではなく、焼身の根本原因を調査するための国際調査団を地域に派遣することを許可すべきである」と続けた。

ロンドンベースのFree Tibetは「チベットにおける自白はほとんどの場合拷問により引き出される。これはUNも広く日常的に行われているとレポートしている」と言う。

ダライ・ラマ法王が焼身を奨励するなどという言葉を発したことはこれまでに一度もないし、亡命政府は「過激な抗議行動を慎むように」と何度も言っている。

今度の所謂「自白」も時期を見計らって、拷問により、作られた調書にサインさせられたという可能性が高いと思われる。

参照:11日付けphayulhttp://www.phayul.com/news/article.aspx?id=32655&article=CTA+challenges+China+to+prove+self-immolation+charges
9日付けKINBRICKS NOW http://kinbricksnow.com/archives/51830306.html

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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