チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年11月26日
<速報>今日2人目の焼身 18歳の若者がアムチョクの金鉱山前で焼身・死亡 / ダライ・ラマ法王の涙
クンチョク・ツェリン生前の写真。
今日、焼身の知らせが入ったのはこれで3人目だ!本当に悲しい。今年中に100人を越えるであろう。中国が弾圧を強化すればするほど焼身は益々増える。中国も分かっているであろう、それが望むところと言うわけか?
今日、11月26日午後、アムド、サンチュ県アムチョク郷ギャガル草原(བླ་བྲང་ཨ་མཆོག་ཞང་རྒྱ་གར་ཐང་)にある金鉱山開発地の入り口辺りでクンチョク・ツェリン(དཀོན་མཆོག་ཚེ་རིང་)、18歳が焼身抗議を行い、その場で死亡した。
この焼身抗議の場所は今月20日にツェリン・ドゥンドゥップ(35)が焼身した場所と同じである。遺体はチベット人たちが家族の下に届け、現在大勢のチベット人が集まりアムチョク僧院の僧侶たちが法要を行っているという。
クンチョク・ツェリンはアムチョク郷ベンケン村の出身。すでに結婚しており、19歳の妻サンゲ・ツォを残した。父の名はツェパック・キャプ(40)、母の名はゴンポ・ツォ(37)。ペルジョル・ギャンツォという兄が1人いて彼は僧侶という。
内地焼身86人目。今月4日から26日までに22人。内訳:青海省内チベット族自治州13人、甘粛省内チベット族自治州4人、四川省内チベット族自治州4人、チベット自治区1人。遊牧民12人、農民3人、僧侶3人、尼僧1人、絵師1人、タクシー運転手1人、中学生1人。男性18人、女性4人。
参照:26日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6959
焼身後の<閲覧注意>の写真もある。
26日付けphayulhttp://www.phayul.com/news/article.aspx?id=32523&article=Breaking%3a+18-year-old+sets+self+on+fire%2c+Third+self-immolation+in+two+days
法王「ただこれほどつらいことはない……燃えていく、燃えていく……」と涙をたたえる
先日ダラムサラで行われた「第二回国際チベット支援者特別会議」に出席していた米在住の中国人民主化運動家、楊建利氏が会議2日目に集合写真を撮った際に、法王と交わした会話を自身のブログに掲載されていた。これを@uralungtaさんが翻訳紹介して下さったので、以下転載させて頂く。
原文:http://www.canyu.org/n63608c6.aspx
@uralungtaさんブログhttp://lungtaprojectjapan.tumblr.com/post/36584106056/2012-11-16
2012年11月17日、会議2日目。午前10時半ごろ、参加者が小グループに分かれてダライ・ラマ法王と集合写真を撮る時に、私は法王と手を握った。
彼は私に中国の新しい首脳陣の状況を訊ね、私は手短かに答えた後、声を低く振り絞って申し上げた。「昨日、3人が……」。 「知っている。知っている」法王は仰った。もちろん法王には私が言いたいことが分かっていたのだ。「私は無力だ。私は無力だ……」続けて法王はそう仰った。
言葉を交わしたとき、私は法王の眼を見つめていた。彼は5本の指で強く私の手を握って言った。「ただこれほどつらいことはない……燃えていく、燃えていく……」。そのとき法王の目は涙をいっぱいにたたえていた。私の眼からも涙が流れ落ちた。
数分後、法王と我々のグループが写真撮影をするときに、法王はまた私の手を取った。言葉はなく、ただ互いに視線を交わしていた。私は再び、法王の瞳の奥に涙がきらりと光るのを見た。私の目からも再び涙が流れ落ちていた。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)