チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年11月18日
<速報>昨日レゴンで2人目の焼身 内地78人目 死亡確認64人目
昨日11月17日、レゴンでチャクモ・ツォが焼身して3時間ほど経った午後7時頃、もう1人のチベット人が同じレゴン地区で中国政府に対する抗議の焼身を行い、その場で死亡した。
10世パンチェン・ラマの写真の下に掲げられたサンダク・ツェリン生前の写真。最後の遺言偈も置かれている。
焼身の場所はレゴン地区ツェコク県ドカルモ郷(རེབ་གོང་ཁུལ་རྩེ་ཁོག་རྫོང་རྡོ་དཀར་མོ་ཞང་)の政府庁舎前。名前はサンダク・ツェリン(གསང་བདག་ཚེ་རིང་)、24歳。現場に駆けつけた警察が燃え盛るサンダク・ツェリンの身体に水をかけ、火を消そうとしたが、火勢が強く、彼はその場で死亡した。
直ぐにチベット人が大勢あつまり、遺体は当局に奪われる事なく、まずゴンシュルにあるサンガク・ミンドル・タルゲリン僧院に運ばれ、その後、付近の2つの僧院から来た僧侶、その他一般チベット人数千人が集まり、僧院傍の葬儀場で火葬が行われたという。
このドルカモ郷では、その日の朝、当局が集会を開き「弔問のために焼身者の家族を訪問してはならない。僧侶がそのようなことを行った場合はその僧院を閉鎖する」と命令したという。そして、夕方その同じ場所でサンダク・ツェリンが焼身抗議を行った。
サンダク・ツェリンはツェコク県ゴンシュル郷ガルワ第8地区(རེབ་གོང་རྩེ་ཁོག་མགོན་ཤུལ་སྒར་བ་རུ་ཁག་བརྒྱད་པ་)の出身。父の名はチュイン(51)、母の名はメンラ・ツォ(49)、姉が1人いて名前はツェヤン・キ(29)。妻の名はタムディン・ツォ(別名パクモ・ツォ 24)、2人の間には3歳になるデンキャプという男の子がいる。
彼を知る人の話によれば、彼は常々「チベットには自由がない。ダライ・ラマ法王がチベットにお帰りになることができない。パンチェン・リンポチェが獄に繋がれたままだ。こんなままではこの世に生きていても仕方がない」等と話していたという。これに対し妻は「その事ばかり考えるのは良くない」と諭していたが、彼はこれを聞かず、暗くなっていたという。
また、一週間程前には友人に以下の短い遺言の一偈を書送っていた。
赤い頬したチベット人
雪獅子の末裔
勇気ある雪山の人々よ
チベットへの忠誠心を忘れるでない
内外合わせた焼身者の数は81人(亡命政府発表79人)となった。
参照:17日付けཁ་བརྡ།http://www.khabdha.org/?p=36714
18日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6929
18日付けphayulhttp://phayul.com/news/article.aspx?id=32467&article=Breaking%3A+Tibet+continues+to+burn%2C+Man+sets+self+on+fire
17日付けRFA中国語版http://www.rfa.org/mandarin/Xinwen/1-11172012151039.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter
同英語版http://www.rfa.org/english/news/burn-11172012171044.html
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)