チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年11月13日
7日焼身・死亡したタムディン・ツォの父親が語る娘の焼身への道
11月7日にタムディン・ツォ(23)が焼身、死亡した。その後、残された家族の下をお悔みのために訪れるチベット人が絶えないという。
そんな中、ある10人のチベット人グループが家族の下を訪れた時、タムディン・ツォのお父さんが娘の焼身について語った。そして、その話が最近亡命側に伝えられた。
父親タムディン・キャプの話
娘は23歳だった。名前はタムディン・ツォという。娘には息子が1人いた、名前はニンジャン・ツェリンで7歳だ。娘は他の人たちと違い、普段からチベットの問題に関心が深く、心配していた。娘が自らを灯明として捧げたのは、チベットのためであり、決して夫婦仲とか家族仲が悪かったからというものではない。
娘がそのような事を考えるようになった直接の原因となったと思われる出来事があった。一ヶ月ほど前に私は娘と一緒にバイクに乗って、ドワ郷の街に行った。ちょうどその日、レゴン県の共産党書記である蒋樹成が来ていて、「ダライの写真を店で売ったり、家庭内に保持してはならない。それは違法行為である。分裂主義者を非難すべきである」等と書かれた張り紙が郷の庁舎の前に貼られ、またそのようなことを怒鳴りながら、街中を練り歩いていた。
それを見て娘は悲しそうな顔をして、私に何度も『お父さん、私たちチベット人は悲しいね。ダライ・ラマ法王のお写真も掲げちゃいけないなんて、全く自由がないね』と話した。家に帰った後も何度もそのようなことを言っていた。その日から娘は肉を食べることを止め、ニュンネ(断食の行)も何度も行った。自分は娘の身体のことを考えて、重ねてちゃんと食事を取るようにと言った。
焼身の数日前に娘は何度か『お父さん、レゴンのロンウォに行きたいんだけど』と言っていた。でも、私は家の仕事が沢山あるから行くなと言った。11月7日には娘は弟と一緒に家にいた。弟が家畜を見るために外に出た後、娘は家の掃除をして、法王の写真が掲げてある仏壇に供物を捧げ、何度も祈っていたようだった。その後、外にあったバイクからガソリンを抜き、そこで自らを灯明と化し供養した。
私の大事な1人娘だった。娘が生まれたときから、一度も叱ったことはない。婿が一緒にいたが、私は一度も干渉したことはない。だから、このような娘を突然こうして失ったことは、心臓を抜き取られたようなものだ。しかし、娘がそのような道を選んだのはチベット人みんなのため、ダライ・ラマとパンチェン・ラマをお迎えするためであるから、もう色々考えることは止め、娘の一生を美しかったと喜ぶようにしようと思う。
だから、あなた方も娘の望みが叶えられるように努めて頂きたいと願う。また、娘が将来、宗教と政治の自由を謳歌する吉祥なる雪山チベット国に、幸運で宝のような人間の身体を得て生まれ変わり、一切知者(ダライ・ラマ法王)とお会いすることができるようにと一緒に祈って頂きたい。
参照:11日付けTibet Expressチベット語版http://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-37-19/9622-2012-11-11-11-10-12
12日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6890
私たちは、相次ぐチベット人の焼身のニュースを聞いて、「ああ、また1人焼身したのか、、、何人になったのかな?」と考える。伝えられる情報は場所と名前と年齢ぐらいで、その他、彼や彼女がどのような人生を送って来たのか?どうして焼身という、もっとも激しい痛みを伴う死を選ぶに至ったのか?家族はその後どうなったのか?等といった情報はほとんど入らない。だから、悲しいと思うだけで、それはすぐ数字の1つとなり、勝手な政治的、宗教的判断から賞賛したり、悪いとか無意味だとか言う。
本当は、その彼や彼女が焼身に至までには長い真剣な葛藤があり、ついに決心されたものなのだ。日々中国政府の圧政、弾圧を肌で感じ、抗議の意義を認め決定されたものなのだ。また、多くの場合、その引き金を引くような事件がそれ以前に、その地区で起っている場合が多い。彼女の場合は地区に共産党書記が来て、目に見える形で共産党の絶対的存在を示し、彼女の前で最愛にしてチベット人の希望の印である法王の写真を掲げてはならないと命令したことである。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)