チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年11月12日
<速報>今日、再びレゴンで焼身・死亡 内地焼身73人目
先ほどFB等で伝えられた情報によれば、今日(11月12日)現地時間午後3時15分頃、アムド、レゴン(レプゴン 青海省黄南チベット族自治州同仁県)ドワ郷ドロンウォ遊牧民地帯ケマル草原で、ニンカル・タシ(སྙིང་དཀར་བཀྲ་ཤིས་24)と呼ばれるチベット人が、中国政府のチベット政策に対する抗議の印に焼身を行った。生死は未だ不明だが、送られて来た写真を見る限り、生きる望みは少ないと思われる。
中国のチャットルーム「we chat」の中で彼が焼身中に「ダライ・ラマ法王に長寿を!」と叫んだのを聞いたという報告もある。
父の名はタシ・ナムギェル(47)、母の名はカンド・ツォだが4年前に他界、妻の名前はドゥクモ・ツォ(23)という。
内地焼身73人目(亡命政府発表71人目)。ダライ・ラマ法王日本訪問中9人目。前日を入れ「十八党大会」開催中8人目。
レゴンでは7日、8日に続き一週間に3人目。ニンカル・タシが焼身した場所は7日にタムディン・ツォが焼身した草原と同じである。ドワ郷では8日に小学校の生徒たち約700人が中国国旗を下し、チベット国旗を掲げる等の抗議デモを行っている。
追記:ニンカル・タシの死亡が確認された。焼身したのは中国政府の役人が演説中と
Tibet Expressによれば、ドワ郷には11日、12日と連続し中国政府の役人がやって来て、「焼身は違法行為」等と演説していたという。そんな最中彼は焼身した。
写真は生前のニンカル・タシ
彼は焼身しながら「ダライ・ラマ法王の長寿を!チベットに自由を!」と叫んだという。ドワ郷にはこのところ連日、7日に焼身・死亡したタムディン・ツォと8日に焼身・死亡したケルサン・ジンパの家族を見舞うために各地から大勢のチベット人が集まっていた。今日(12日)もそのようなチベット人が大勢来ており、その人たちが焼身したニンカル・タシの遺体を当局に運び去られるのを阻止し、遺体を家族の下に届けたという。
昨日11日、レゴン県とロンウォ鎮の役人がドワ郷に来て集会を開き、「7日にタムディン・ツォが、8日にケルサン・ジンパが焼身した理由は何か?外部からの唆しがあったのではないか?焼身は違法行為だ」等と演説した。今日12日にも、中央政府と省の関係役人がドワ郷に7台の車を連ねてやって来て、郷の役人等を集め集会を開いていた。ニンカル・タシが焼身したのはちょうど彼らが演説をしている最中であったという。
11月24日に亡命側に伝えられたもう一枚のニンカル・タシ生前の写真
11日に役人が来て、集会を開いた時、彼らが「焼身の理由は何だと思うか?これからも焼身は続くと思うか?住民や地域の役人はこのことについてどう思うか?」と質問した。その時、政府の下ですでに15年働いているというタクラというチベット人が答えたという。「私はみんながどう思っているのかは分からない。しかし、私が思うに、チベット人が焼身する主な理由は『ダライ・ラマ法王の写真を掲げる事が禁止され、方法に祈ることも禁止されていること。ダライ・ラマ法王がチベットにお帰りになれない事。パンチェン・リンポチェの生まれ変わりが獄に繋がれたままであること。チベットに自由がない事』であると思う」と彼は話した。これを聞いた回りのチベット人たちは彼の勇気に驚き、彼を大いに讃えたという。
他の地元の人の話によれば、焼身の主な直接的原因は「最近黄南チベット族自治州のボスである共産党書記チンフウ・ティンがドワ郷に来て『ダライの写真を掲げてはならない』等と命令したからだ。この書記はロンウォ僧院にも入り、法王の写真を掲げる事を禁止した。悪いやつと評判が高い」という。
今日もう1人レゴンで若者が焼身したというニュースが今入った。
参照:12日付けTibet Expresshttp://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-37-19/9626-2012-11-12-10-50-56
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)