チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年11月11日
<速報>10日 またもやツゥ(合作)で焼身抗議・死亡 4日間で7人
新華社電が伝えるところによれば、今日(11月10日)現地時間午後2時頃、ツゥ(ツォエ 甘粛省甘南チベット族自治州合作)の僧院でゴンポ・ツェリン(མགོན་པོ་ཚེ་རིང་)、18歳が焼身抗議を行い、死亡した。
7日に5人、8日に1人、そして再び10日に1人。内地焼身抗議72人目(亡命政府発表70人目)。死亡確認58人目(亡命政府発表56人目)。
亡命側に情報が伝わる前に、「十八党大会中」にも関わらず中国の新華社がまず伝えたというのは不思議な気がする。
追記:以下11日付けTibet Timesより。焼身の時間は2時20分、場所はルシュ郷(合作市 勒秀郷)にあるルシュ(シェドゥップ・テンダル・リンཀླུ་ཤོད་དགོན་བཤད་སྒྲུབ་བསྟན་དར་གླིང་)僧院の境内。焼身しながら「民族には自由が必要だ!言語の自由が必要だ!ダライ・ラマ法王をチベットに!」と叫んだという。炎が上がるのを見た僧侶たちが直ぐに駆けつけ、火を消そうとしたが、火勢が強く、消す事ができなかった。4時40分頃死亡。遺体はルシュ郷ケ村にある家族の元に届けられ、僧侶たちが法要を行っている。
ゴンポ・ツェリンの年齢は19歳という。父の名はタシ・ソナム(42)、母の名はニンロだが、彼が3歳の時母親は亡くなっている。その後、後妻であるゴンポ・キ(40)の下で育てられた。2011年の末に妻ドゥクモ・チュクと結婚している。
焼身の前日である9日、彼は自宅で両親、親戚たちと一緒に過ごしたが、その時には静かにリラックスしており、特別変わった様子は全く見られなかったという。焼身当日の10日朝6時半頃、僧院に行くと言ってバイクに乗り、15キロほど離れたルシュ僧院に向かった。そして、そこで午後2時20分頃焼身抗議を行い、死亡した。
地元の人の話によれば、彼は中学校(中高一貫)までしか行かなかったが、学校ではスポーツマンであり、品行の良さと学業の良さで何度か賞を貰っているという。最近村の話芸大会等にでて人気を取っていたともいう。
地区のネットや電話が全て遮断されており、亡命側に情報が伝わるのが遅れたという。
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その他、焼身関連の新しい情報(VOTより):ンガバで7日に焼身した3人の若い僧侶の内、その場で死亡したドルジェ、15歳の遺体は部隊により運び去られた後、遺灰だけが家族に渡されたという。病院に運ばれたという、残りの2人、サムドゥップとドルジェ・キャプの消息は未だ不明。
10月25日にディル県ベンカル郷で焼身、死亡したツェポ、20歳の遺体は家族が正式な葬儀を行う事を当局が禁止し、部隊が近くの川に流したという。一緒に焼身したテンジンの消息は未だ不明。
参照:10日付け中央広播電臺http://news.rti.org.tw/index_newsContent.aspx?nid=388720
10日付けAFPhttp://www.google.com/hostednews/afp/article/ALeqM5jGt9W6Gx0o9kp5EVx_Y8WnhIMFEQ?docId=CNG.18fa42eee640092a698458ccdc1aebfc.731
11日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6888
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)