チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年11月9日
レゴンで大規模な学生デモ/ドワ郷で小学生がデモ/昨日焼身・死亡したケルサン・ジンパの遺言
今日、早朝現地時間5時過ぎからアムド、レゴン(レプゴン 青海省黄南蔵族自治州同仁)中心部でチベット人学生による大規模な中国政府に抗議する平和的デモ行進が行われている。参加者の数については数千人と報告するメディアがあるが、1万人という報告もある。
参加者の中心はレゴンにある州立師範学校、民族高校、職業訓練校、県立民族中学校の生徒たち。学生たちは市内を行進しながらダライ・ラマの長寿を祈る「雪山に囲まれしこの浄土の 全ての福利と幸福の源 観音菩薩であられる大師テンジン・ギャンツォ(ダライ・ラマ法王)よ 濁世の終わりまで留まられますように」という詩句を唱えると共に、「民族平等」「チベットに自由を」「ダライ・ラマ法王のチベット帰還を」等のスローガンを叫んでいるという。
行進は最初、州と県の庁舎が並ぶロンウォ・ゲルタンの大通りを進んだ後、ロンウォ僧院前のドルマ広場に集結し、そこで集会を開いた。広場には一般のチベット人や他の学校の生徒たちも集まり、その数が膨れ上がっているという。現在のところ、当局が部隊を派遣して弾圧したという報告は入っていない。
レゴンではこれまでに5人:3月14日に僧ジャミヤン・パルデン、3月17日にソナム・ダルギェ、11月4日にドルジェ・ルンドゥップ、11月7日にタムディン・ツォ、11月8日にケルサン・ジンパが焼身抗議を行い、全員死亡している。焼身がある度にその後大規模な抗議デモが発生している。一昨日7日のタムディン・ツォと昨日8日ケルサン・ジンパの焼身後にもその葬儀に数千人のチベット人が集まり抗議のスローガンを叫んでいる。
2010年には同じく学生たちによる大規模なデモが行われている。しかし、この時はその目的は「チベット語擁護」であった。今回のように政治的スローガンを叫ぶ学生による大規模デモは初めてである。朝早くから始まったということは連日の焼身を受け、前日から連絡を取り合い計画していたものと思われる。
レゴン当局はこれまでのところ、これらのデモに対し部隊を派遣し弾圧するということを行っていない。これは異例であり、「十八党大会開催中」ということを考慮し、今部隊を派遣し大きな衝突事件を引き起こすより、大会が終わった後に撮影したビデオ等を使い、先導者たちを逮捕しようとしている可能性が高いと思われる。
レゴンは、付近のツェンツァ、サンチュ、ツゥと共にチベット文化圏の最前線だ。市(鎮)内のチベット人の数は2万人にも満たないであろう。そんな場所で1万人近いチベット人が一斉にデモに参加したのだ。それも若者を中心に。これはほぼ全面蜂起と言えるほどのものだ。相次ぐ同胞の焼身抗議に勇気づけられ、これに報いるために、「十八党大会」を睨みながら、若者たちが恐れることなく立ち上がったと言うわけだ。将来も諦める事なくチベット人は立ち上がり続けるということを象徴している。
参照:9日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6881
昨日も少し伝えた、レゴン県ドワ郷の小学生のデモだが、今日になり少し詳しい報告が入ったのでこれを伝える。Tibet Timesによれば、参加者は700人にも及んだという。また、始まった時間は朝早くというから、この日午後にあった同郷のケルサン・ジンパの焼身を知る前ということになる。
8日の早朝、郷の小学校の生徒たちが校庭に掲げてあった中国国旗を引き下ろし、これを引きちぎり、代わりにチベット国旗を掲げ、スローガンを叫んだ(写真)。その後、郷の政府庁舎の前に行きそこに掲げてあった中国国旗も引き下ろし、引きちぎった。学校の先生たちはこれを見て、自分たちではどうしようもないので子供たちの親に自分の子供を家に引き戻すよう命令したという。
この事件を知って、レゴンからは軍隊のトラック7台がドワ郷に向かって出動した。しかし、ドワ郷の入り口で子供たちや村人たちが道を塞ぎ、帰るよう懇願したので、それに従いレゴンに引き返したという。
参照:9日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6880
9日付けTDHRDリリースhttp://tchrd.org/index.php?option=com_content&view=article&id=310:thousands-of-tibetan-schoolchildren-hold-demonstration-pull-down-chinese-flags-after-three-burning-protests-in-rebkong&catid=70:2012-news&Itemid=162
8日に焼身、死亡したケルサン・ジンパの遺言
ケルサン・ジンパ生前の写真
ケルサン・ジンパは焼身を実行する前に短い遺書を残していた。以下その訳。
「民族は平等であるべきだ。チベットには自由が必要だ。チベット語が広く使われるべきだ。ダライ・ラマ法王はチベットにお戻りになるべきだ。私はチベットの自由獲得のために焼身を行う」
参照:9日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6880
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)