チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年11月5日
<続報>昨日焼身したタンカ絵師ドルジェ・ルンドゥップ氏の葬儀
昨日、<速報>としてアムド、レゴンでドルジェ・ルンドゥップ氏が焼身抗議を行い、その場で死亡したことをお伝えしたが、今回は、その後入った情報を、彼の葬儀を中心に報告する。
彼は4日の現地時間午前10時半頃、レゴン市内の南側にあるロンウォ・ゲルタン(རོང་བོ་རྒྱལ་ཐང་)地区内チャキュン大通りの四つ角(བྱ་ཁྱུང་ལམ་ཁུལ་གྱི་སུམ་མདོ་ 隆务镇德合隆南路的四合吉宾馆门前)付近で焼身した。普段から人通りの多い道であり、直ぐに大勢のチベット人が集まった。集まった人たちは火を消そうとはしなかったという。それは、嘗てロンウォ僧院僧侶ジャミヤン・ペルデンが焼身したのち、長く苦しんだ挙げ句に亡くなったということを知り、人々は彼を望み通り死なせる方が良いと判断したからだという。部隊が到着したが、大勢の人々が回りを囲み、燃え尽き、彼の遺体を運ぶまで、一切部隊には近づかせなかったという。
遺体は直ぐに、ロンウォ僧院前のドルマ広場に運び込まれ、ここでロンウォ僧院僧侶たちにより弔いのお経が唱えられた。その間にも焼身の話を知った街のチベット人たちがどんどん僧院に集まった。大勢の人々が集まるのを見て、僧侶たちはこのままでは当局が介入し、遺体を奪われる恐れがあると判断し、直ぐに遺体を僧院裏のドンギェル・ラカ(གདོང་རྒྱལ་ལ་ཁ་)と呼ばれる特別の葬儀場である丘の上に運んだ。その間にも集まった群衆はチベットの自由を求めるスローガンを叫び、すでに抗議デモの様相を呈していたという。
その丘は僧院のラマ(高僧)等が死亡したときにのみ使われる特別の葬儀場であり、一般人でこの葬儀場に運ばれたのは今年3月17日にレゴンで焼身、死亡したソナム・タルギェ氏のみ(RFAは僧ジャミヤン・もここで荼毘に付されたとする)という。
遺体は丘の上の葬儀場に運ばれたが、実はこの時にはまだ、焼身者の身元が分かっておらず、家族も呼ばれていなかったという。その後、身元が分かり、家族が彼の出身地であるチュマデゲ・ツォグ地区ルション村(རེབ་གོང་ཆུ་མ་སྡེ་བརྒྱད་ཚོ་དགུའི་གྲས་ཀླུ་གཤོང་སྡེ་བ་同仁县年都乎乡录合相村、同仁の北数キロ)から呼ばれた。実際に火葬されたのは午後3時頃というが、その間にも何千人ものチベット人(6千人、一万人と伝えるメディアもある)が集まり、「キ!キ!、、」という闘いの雄叫びを上げたり、スローガンを叫ぶものも多く、それ自体が抗議デモと化していたという。
家族が呼ばれた後、ドルジェ・ルンドゥップ氏の父親ドゥク・タルギェ氏が群衆に向かって以下のような話をしたという。「自分の息子は人のためにこうして亡くなったのだから、私は苦しまない。息子は自分の依願を成就したからだ。レゴンの僧侶、俗人たちよ、今日はこれ以上問題を起こさないようにしてほしい」と。これを聞いて、多くのチベット人が涙を流したという。その他、妻や母、祖母、祖父が人々に感謝を示し、これ以上騒ぎが大きくなり逮捕者が出ないようにとしてくれという心遣いを示した。祖父は「私はもう80歳になろうとしている、みんな私の願いを知ってほしい。ダライ・ラマ法王が早くチベットにお戻りになることを祈っている」と話た。
街には大勢の部隊が出動し、葬儀場に向かう人々を阻止しようとしたという。しかし、これまでに、衝突が起ったとか、拘束されたという情報は伝えられていない。ただ、当局はネットや電話を遮断し、人々にも外部に情報を流すなと命令していたという。18党大会を控え、この事件が起る前からネットは厳しく規制され、電話も掛かりにくい状態が続いていたという。現在人々は部隊が溢れる街中に外出することも怖くてできないと漏らしている。
参照:4日付けRFA英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/blaze-11042012105433.html
同中国語版http://www.rfa.org/mandarin/yataibaodao/dz-11042012162546.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter
4日付けphayulhttp://www.phayul.com/news/article.aspx?id=32376&article=Thousands+attend+Tibetan+self-immolator+Dorjee+Lhundup’s+funeral
4日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6857
4日付けTibet Expressチベット語版http://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-37-19/9565-2012-11-04-10-44-14
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)