チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年10月23日
<速報>昨日に続き今日も同じサンチュで焼身 今月6人目 内地60人目 死亡50人目
生前のドルジェ・リンチェン
Tibet Timesによれば、今日10月23日、現地時間午後4時半頃、サンチュ市内(བསང་ཆུ་རྫོང་甘粛省甘南チベット族自治州夏河)ウデン市場の傍にある警察署付近の路上でドルジェ・リンチェン氏(རྡོ་རྗེ་རིན་ཆེན་57)が中国政府のチベット弾圧政策に抗議する焼身を行い、死亡した。
現場近くにいたチベット人たちが、彼の遺体を部隊により連れ去られる前に、彼の家があるサユ村(ཟ་ཡུས་སྡེ་བ་ 夏河縣九甲鄉灑乙囊村)に運んだ。途中、これを阻止しようとした部隊と衝突し、小競り合いがあったが、結局遺体は無事家族の下に届けられたという。焼身を知ったチベット人たちが大勢家族の下に向かっているが、部隊が橋等を封鎖しこれを阻んでいる。
また、焼身を知ったラプラン・タシキルの僧侶たちが、祈りを上げるために彼の家に向かおうとしたが、途中の橋で部隊に阻止され、仕方なく、その場で座り込み、祈りのお経を上げたという。
ドルジェ・リンチェン氏は妻と2人の子供を残した。
追記:彼はサユ村の副村長であり、チベット語と中国語に長け、チベットを思う心が強かったという。
ドルジェ・リンチェン氏の焼身当日の行動についてRFAが伝えるところによれば、「ドルジェ・リンチェン氏は朝早く起き、ラプラン僧院に祈りに行った。数回コルラを行い、家と僧院を3回往復。その後自宅の内外を綺麗に掃除した。そして、警察署に向かいそこで焼身した」という。
参照:23日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6792
23日付けVOT中国語版http://www.vot.org/?p=17644
家族写真。妻の名はルタル、長男の名はタボ、長女の名はリクジン・ツォ。その他、80歳になる母親がいるという。
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昨日焼身、死亡したドゥンドゥップ氏のコルラ仲間の話、「ドゥンドゥップ氏は1万回のコルラを達成したばかりだった。常々『最近若者が沢山焼身するが、悲しいことだ、彼らは将来の生命線だ。それより我々年寄りが焼身して死んだ方がいい。喪失感はなにもないだろう』と語っていた」と。<22日付けRFAチベット語版
追加(10月30日):ドルジェ・リンチェンの遺体が自宅に運ばれるときの映像。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)