チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年10月9日
サンゲ・ギャンツォ焼身後のドカル僧院 焼身の背景
焼身後部隊がドカル僧院に押し掛ける
6日、アムド、ツォエから10キロ離れたドカル僧院の仏塔前でサンゲ・ギャンツォ(27)が中国政府のチベット政策に対する抗議の焼身を行い、死亡した後、ドカル僧院には地区の警官と役人が押し掛け、夜遅くまで尋問を行った。外部に焼身の写真と情報がすでに流れたと知った当局は、誰が写真を撮り、情報を伝えたのかを調べ始めた。また、最初に遺体を誰が僧院に運んだのか、家族に誰が知らせたのかを知るために僧侶たちを脅し、詰問した。
次の7日には、より多くの警官と役人が僧院に現れ、目を付けた数人の僧侶を連行しようとした。しかし、その頃には周辺の村からも大勢のチベット人が僧侶を守るために僧院に集まっていた。村人たちは「僧侶たちにはなにも罪がない。もしも、僧侶たちを連行しようとするなら、自分たちは命をかけてこれを阻止する」と宣言し、他の僧侶と村人が一丸となり、連行されようとする僧侶を守ったという。
周辺の村から益々多くのチベット人たちが、僧院を守り、家族に哀悼の意を示すために集まるのを見た当局は家族に対し、直ちにサンゲ・ギャンツォの葬儀を終わらせるよう命令したという。すでに火葬されたかどうか、現時点では不明だ。
背景
ドカル僧院周辺では2007年と2008年に抗議デモが発生している。2007年、地区の役人が「ダライ・ラマ法王をチベットに呼びたいか?」というアンケートを集めた。その時、地区の村人たちは全員、「もちろん、お招きしたい」と回答した。しかし、役人は上級の役所に対し、「地区の住民はダライ・ラマ法王を招きたくないと言っている」と報告した、ということがその後判明した。これを知って、地区の住民たちは抗議の声を上げたという。
また、2008年チベット全域で蜂起が起った時、この地区でも多くの僧侶と住民が抗議デモを行った。その後、軍隊、武装警官隊、特殊警察隊が大勢押し掛け、村々を襲い、家々のドアや窓を壊し、家の中から貴重品を盗み、バイク80台も取り上げられた(盗まれた)。そして、70人が連行され、ひどい暴行を受けた後、1人3000元を払うことで釈放されたという。それ以降、ドカル僧院には当局の管理事務所がおかれ、継続的に愛国再教育が続けられている。
地区に対するこのような弾圧が、今回のサンゲ・ギャンツォの焼身抗議の原因の1つであると思われる。
参照:7日付けRFA英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/security-10072012091243.html
6日付けTibet Times チベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6716
7日VOT放送分http://www.vot.org/#
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)