チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年10月6日
<速報>更なる焼身 アムド・ツォエ 二児の父
グチュスン(9-10-3チベット良心の囚人の会)に先ほど現地より伝えられた情報によれば、今日、現地時間正午頃、アムド、ツォエ(གཙོས་ツゥ、甘粛省甘南チベット族自治州合作市)から10キロ離れたドカル僧院(རྡོ་དཀར་དགོན་པ་)の左手にある仏塔の傍でサンゲ・ギャンツォ(སངས་རྒྱས་རྒྱ་མཚོ་)という27歳の若者が焼身し、その場で死亡したという。
遺体はドカル僧院の僧侶たちにより僧院に運ばれ、現在追悼会が行われている。
サンゲ・ギャンツォはゼロ村の出身、父の名はゴンポ・ドゥンドゥップ、母の名はゴンボ・ツォ。彼にはドルジェ・ドゥンドゥップという7歳の男の子とティンジン・ツォという5歳の女の子がいるという。
焼身直後の写真も伝わっている<閲覧注意>>6日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6716
内地焼身56人目(亡命政府発表54人目)、死亡確認46人目(亡命政府発表44人目)。
参照:6日付けTibet Expressチベット語版http://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-37-19/9356-2012-10-06-07-11-55
VOTが目撃者の話を伝えるところによれば、彼は焼身しながら「チベットに自由を!ダライ・ラマ法王をチベットへ!言語自由!」と叫んだという。
遺体はその後家族の下に運ばれ、追悼法要が行われた。ダライ・ラマ法王の写真が掲げられている。
追記(10月21日)サンゲ・ギャンツォ最後の夜
6日に焼身、死亡したサンゲ・ギャンツォの妻ドルジェ・キが、夫の焼身前夜と翌朝の様子について語った。
焼身の前日の夜、サンゲ・ギャンツォは妻と静かな夕食を取った。その後2人は家族に付いての話を夜遅くまで続けた。妻が「もう遅いから寝ましょう」と言ったが、彼は真夜中まで話を続けたという。
次の日の朝、サンゲは妻にチュバ(チベットの伝統的衣装)を出すようにと頼んだ。友人の車を直すのを手伝いに行くと言って、空のポリタンを手にして家を出た。
そして、正午頃、彼はドカル僧院仏塔前で焼身したのだった。
妻は「夫とは大変仲がよく、どんな争いも一度もした事がない」と言い、「夫がこのような仕方で命を断つとは全く想像もしていなかった」と語った。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)