チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2012年10月3日

ウーセル・ブログ「ラサ帰郷記」

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8月半ば、ウーセルさんと夫の王力雄さんは他の友人2人と共に車で北京からチベットのラサを目指した。直接の動機というか原因は当局から「中国共産党第18回党大会」がまもなく始まるため、お前のようなヤツは大会が終わるまでどこかへ消えてろ、と命令されたからだ。ブログにはラサの手前で警官に大声で「チベット族が1人いるのか?チベット族は下りろ」と命令され、チベット人であるが故に嫌がらせを受けたこと、ラサに到着後も尾行されたこと等が報告されている。

今、チベットに入る事がもっとも難しいのは、実はチベット人自身なのだ。

原文:http://woeser.middle-way.net/2012/09/blog-post_30.html
翻訳:@yuntaitaiさん

001

チベット族という私の身分により、青蔵公路の最初のチェック・ポストで8時間も止められた。写真の私は乃吉溝チェック・ポストをぼうぜんと眺めている。

003

その後、ラサ手前のヤンパチェン(羊八井)で再び止められ、夜遅くにとても高価なヤンパチェン温泉賓館に泊まるしかなかった。私たちは道中、記念写真のスタイルで、「目を閉じてチベットを見ない」というパフォーマンスを演じた。写真で私たち(朱日坤、王力雄、私、王我)は目を閉じている……。

◎ラサ帰郷記

 私と夫の王力雄は8月12日に北京を離れた。インディペンデント映画を撮っている2人の映像作家、朱日坤と王我が同行した。移動手段はパワフルな古いチェロキーで、ほとんどトラブルはなかった。

 北京からラサまでは飛行機や鉄道でも行けるし、自分で車を運転してもいいし、自転車で走ることもできる。毛沢東の軍隊は徒歩でラサを目指しつつ、命がけで道路を造った。この数十年の変化は多様化する交通手段と絶え間ない人の流れによって生まれた。もちろん、潮のように絶え間なくラサに流れ込んで来ているのは全くチベット人ではない。

 元々、今回の帰省を公にしようとは考えていなかったが、道中のやっかい事はどんどん煩わしくなっていた。ラサから派遣されてきたパトカーにぴったりと尾行された上、ラサまで90キロというヤンパチェンでは銃を構えた軍警の尋問を受け、荷物を没収され、通行を禁じられ、更には一晩を過ごさなければならなかった。このため、状況を不安視した映像作家2人の友人によってネット上に情報が流され、広く知られることになった。

 実はラサには今年初めに戻ろうと思っていたが、敏感な時期や事件が続いたため、少しずつ先延ばしになっていた。この延期は北京の国内安全保衛部門(国保)からある通知を受けるまで続いた。通知によれば、中国共産党第18回党大会がまもなく始まるため、私のような者は北京に滞在してはならず、戻ってよいのは大会終了後だという。私は実のところ、障害を取り除いて陣地を固めようという帝都を喜んで離れ、とても恋しかったラサに戻ることにした。

 私たちが北京の国保に求めた唯一の条件は、北京を離れてもいいが、ラサまでの道中とラサ滞在期間中に嫌がらせをしないでほしいということだった。では、同じように障害を取り除くもう一つの都市、ラサは実際どうだったのか?

 私は道中、含みを持たせてツイッターに書いた。「帰郷の道のりは想像を超えるほど険しい。さまざまな逆説や奇妙な出来事、目に見えない網……。あなたはとてつもない敵で、彼らはあなたに高山病よりも激しい反応を示す。しかし、先の見えない日々にも、あなたの心のラマと記憶は庇護を与えてくれる。そう思えば自然と微笑みが浮かんでくる」

 私たちがラサに着く前、70歳になる母を含む家族と多くの親戚、友人たちが私服警官に呼ばれたことも聞いていた。警官の中には、北京からわざわざラサに駆けつけた国保もいた。親戚や友人は私との関わりを説明し、再会後に私の様子を報告するよう求められた。もちろんラサ到着後、2~4台の車が私たちを尾行した。

 しかし、私という個人だけを警戒していたわけではない。青蔵公路の最初のチェック・ポスト、つまりゴルムドからラサに向かう乃吉溝チェック・ポストでは、警官が私たち一人ひとりの身分証をじっくりと調べ、大声で叫んだ。「チベット族が1人いるのか?チベット族は下りろ。チベット入域許可証はあるか?無いのならチベットには入れないぞ」

 「チベット入域許可証」とは何か?このチェック・ポストのリーダーは私たちに証明書のコピーを1枚見せた。それは四川省カンゼ・チベット族自治州リタン県のチベット人のものだった。チベット自治区安全庁で働く妻を訪ねるため、彼は出発前に犯罪記録が無いという証明をリタン県公安局に出してもらったという。公安局の警官が自分の名前と身分証番号を書いて保証していた。普通のチベット人がどうすればこんな「チベット入域許可証」を手に入れられるというのか?

 2012年9月1日、ラサにて   (RFA特約評論)

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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