チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年9月21日
ダンゴで1人の僧侶が当局により撲殺 8ヶ月後に判明
カム、ダンゴは今年1月23日の大規模デモの後、激しい弾圧を経験した。千人規模のデモは部隊の無差別発砲を受け、数名が死亡し、多数の重傷者を出した。被弾した人々は病院に行けば逮捕されるというのでダンゴ僧院に担ぎ込まれた。この時撮影された負傷者たちの写真>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51727698.html
負傷者たちはその後、山に逃げたが、当局は逃げた人々を追い、2月9日には2人の兄弟を射殺、家族にも発砲した。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51729245.html
これまでに判明しているだけでも、このデモに参加したとして逮捕されたチベット人の内10人以上に無期を含む10年以上の刑を言い渡している。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51742485.html
また、警察に拘束された後、現在も行方不明のままであるチベット人も10人以上いる。その内の1人の消息が最近やっと明らかになったという。19日付けのTCHRDリリースhttp://www.tchrd.org/index.php?option=com_content&view=article&id=291:-monk-qdisappearsq-from-hospital-after-police-beatings&catid=70:2012-news&Itemid=162によれば、上記の2人が射殺されたと同じ2月9日、ダンゴ僧院僧侶ツェリン・ギェルツェン(40)が部隊に激しい暴力を受けた後、拘束された。彼は重体となりカンゼの病院に送られた。背骨を折られていたと伝えられる。医者は治療を施すこともできす、その日の内に彼は死亡した。この情報は彼が死亡した後、8ヶ月経ってやっと伝えられたのだ。しかし、当局は今も、「自分たちは何も知らない」と言い張り、遺体が家族に引き渡されることもない。
これより先、彼が行方不明となり、4ヶ月ほど経った頃、家族はあるラマの占いにより、彼がすでに死亡していると告げられ、これを信じ、写真をセルタのラルンガル僧院に送り、追悼の儀式を行ってもらったという。
チベットではこのように当局に連れ去れた後、長期間行方不明となるケースはいくらでもある。家族はどれほど心配し、苦しむであろう。8ヶ月後に誰かからその行方不明となった息子がすでに死んでいたと知らされ、当局にこれを質しても「知らない」と言われ、遺体も引き渡されないとは。これほど酷い話もない。中国の法律においても、「拘束された者の居所を当局は家族に知らせるべき」と書かれているそうだ。書かれているだけなのが中国の法律である。
ダンゴ僧院に帰った私の学友の1人も1月終わりに他の3人と共に成都で拘束された後、未だ行方不明のままである。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51743237.html
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)