チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年9月19日
ウーセル・ブログ「犠牲となった至高の僧侶に帰依しひざまずきます」
ウーセルさんの今日のブログ。
原文:http://woeser.middle-way.net/2012/09/blog-post_19.html
翻訳:@uralungtaさん
犠牲となった至高の僧侶に帰依しひざまずきます
[写真説明](上)(追放された僧侶の僧坊の扉が使用を禁じる紙で封じられ)封鎖されたデプン寺の僧坊
(下)(各自の僧坊で読経して修行する夜になっても、本来そこにいるはずの僧侶が追放されたため僧坊の明かりがともらず)がらんとしたセラ寺
数ヶ月前、遙か遠いカムの地より、会ったことのない僧侶からの頼みが人づてに伝えられた。彼が書き上げたばかりの本の序文を書いてほしいという頼みだった。そのときになって私は、彼が2008年にラサ3大寺院から拘束され、連れ去られ、追放された千人以上の僧侶の1人だと知ることになった。本の主要な内容はその事実経緯で、私はもちろん序文を書くことを了承した。私は人生で初めて同胞の僧侶の自叙伝の序文を書くことになった。
序文の中で私は、同様の境遇におかれたある高僧の話を書いた。
彼は私に問うた。「ある日、中国政府がチベットのすべての地の寺院の僧侶を殺し尽くし、閉鎖し尽くし、すべての寺院にごくわずかの僧侶しか残らないようにする日があると思いますか?」私はぞっと恐怖に襲われ、ただ、「できないはずです、なぜならそれほどの巨大な犯罪には全世界が抗議します」とだけ応えた。そのとき私は「反人類的犯罪」と言いたかったが、その言葉をチベット語でどう表現するのか分からなかったのだ。
たくさんのものを見てきた高僧は、私の答えを信じなかった。
彼は声を低くしてささやいた。
「私は、彼らはそれをやると思います。しかも、全世界もそれを気に掛けないと思います」彼は続けた。
「覚えていないのですか。2008年のあのとき、ラサ3大寺院の僧侶何人かが殴り殺され、おびただしい人数が今も監獄にいます。さらに私たち千人以上の僧侶が銃を持った軍隊と警察によって僧坊から連れ出され、一カ月以上の拘束を受け、再び無実の罪をきせられ、列車に押し込められて青海チベット鉄道でゴルムドの監獄に入れられ、オリンピックが終わるまでずっと投獄され、それからそれぞれの生まれ故郷に追い返されました。それからというもの、私たちには(修行するべき)寺院はなくなり、どこでなにをしようとも流れ者の容疑者扱いを受けています。これほどまでの苦難を、いったい、この世界は知っているのでしょうか?」
彼は言った。
「実際のところ、2008年のあの時に、この私たちのような多くの僧侶がラサで殺され、またはゴルムドで殺されていたとしても、この世界はそれを知ることなく、また世界に声が上がることもなかったのではないかと思うのです。このような経験をして、私は常に考えるようになりました。彼ら(中国政府)がチベットの地におけるすべての寺院でおびただしい僧侶を皆殺しにすることも、可能性がないわけではない、と。キルティ寺院のように僧侶が焼身をはかって抗議したとしても、そのほかの僧侶や民衆が皆で立ち上がり抗議したとしても、それは軍警が銃の引き金を引く理由となるにすぎないのです。事実、そのような事態は既に起きています。これから虐殺の規模はさらに大きくなるかもしれない。そうしたらキルティ寺院はおわりです」彼がこう話すに至って、私は涙を禁じ得なかった。
その通りです。
たった4年前、「3.10」(蜂起記念日)「3.14」(ラサ市街で武力弾圧に発展した日)から一カ月が過ぎた未明のこと、デプン寺、セラ寺、ガンデン寺、すべての寺院に突然数千人の軍人が押し入りました。チベット人警官とチベット人幹部も付き従い、通訳と凶行の手助けをしました。一晩の間に、千人以上の僧侶が修行と生活の場を失ったのです。世俗的意味では、僧侶にとって寺院こそ家なのですから……。ゴルムドで拘束されていた僧侶が歌詞をつけて悲しげに歌った歌を、私はいまも忘れられません。セラ、デプン、ガンデン
魔物の黒蛇の毒にまかれ
わざわいは毒の海のように押し寄せた
もう修行を続けることはできない
仏法僧三宝よ! おまもりください!
仏法僧三宝よ! はやくおいでください!暖かな三千世界の太陽よ
ふたたび明るく輝いたとしても
私の牢獄の窓から差し込むことはない
私の心は悲しみの黒い闇に覆われてしまった
私たちの太陽よ! はやくおいでください!
私たちの太陽よ! これ以上待てません!これも前世の業なのでしょう
若くして不幸に落ちた私
行き来するための自由も奪われ
ウツァン3大寺に戻るすべもなくなった
カルマよ! どうか祝福を!
どうか理性の声を示してください
ただ行き来できる自由を待ち望んでいます!
従って、この苦難を受けた僧侶が現在も依然として苦難の中にありながら書き記した自叙伝に、私は深く感謝を捧げたい。彼は自らの経験を記録するとともに、チベットにおけるこの半世紀の暗黒の歴史の1ページを書き記してくれた。いずれにしても、記録を残すことで、その存在が刻まれ、一つ一つ真相を明らかにすることによって、銃で虐殺する権力者に対峙できる可能性が生まれるのだから。またこのように、私たちは、私たちの至高の存在である僧侶すべてに深く敬意を表します。この長い歳月、過去、現在、未来において、純白の雪山に囲まれてたチベット全域において、チベットの内なる精神である深紅すなわち僧衣の色に、またすなわち生命を犠牲にして炎となり燃え上がった色に。例えそれが踏みにじられようとも、私は何度でもひざまづいて帰依し、決して屈することなく、感謝の気持ちを刻み続けます。
2012年8月 北京
(RFA特約評論のためのコラム)
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)