チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2012年9月6日

ウーセル・ブログ 「護城河」と「民族隔離」

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ウーセルさんは7月25日付けのブログで、証拠写真と共に、ラサがチベット人に対する「アパルトヘイト社会」と成り果ててしまったことを訴える。

原文:http://woeser.middle-way.net/2012/07/blog-post_25.html
翻訳:@yuntaitaiさん

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zhengjianoo2写真は新浪微博から。1枚目はラサ市公安局が出した「『4大チベット・エリア』のラサ訪問者の証明ルールを再度強調する緊急通知」。

80348769jw1duwmmgqvfljラサ旧市街のチベット人居住区に設置された金属探知機。

87765019jw1dv05x5f0knj巡礼地ジョカンの入り口に置かれた金属探知機。

6e56c016jw1dv83kuqoh5j「ラサ市臨時訪問者登記証」。チベット人は「証明書を取るだけでなく、保証人も必要。全ての過程は監視を受け、いつでも報告し、チェックを受ける準備をしておかないといけない」と話す。

◎「護城河」と「民族隔離」

多くのチベット人と同様に、民族の隔離という事柄は自分たちからかけ離れた問題だと思っていた。70年前のナチスの時代や20年前の南アフリカ共和国だけで起きたもので、イスラエルによるガザ地区の封鎖のようなものだと思っていた。多くのチベット人と同様に、21世紀の今日、この恐ろしい民族隔離を体験できるとは思ってもみなかった。

5月27日、ラサの飲食店で働くアムドのチベット人2人がジョカン前で焼身抗議した後、ラサ市公安局は各県の公安局に「緊急通知」を出した。「ラサに来る『4大チベット・エリア』(四川、青海、甘粛、雲南各省のチベット人居住地)の者は5月29日以降、所持しておくべき身分証明のほか、地元公安局の証明がなければ通過できない」「地元公安の証明を持っていない者は全て追い返す」という指示だ。「緊急通知」上でまさに、「『護城河』の1、2級チェックポスト」と書かれているように、各級の公安のチェックポストは「護城河」と総称されている。

護城河は古代中国の都市建築の特徴だ。外敵の侵入を防ぐため、塹壕を掘って水を引き込み、人工の河を障壁にする。もちろん中国特有のものではなく、他国も古い時代には護城河を掘削した。ヨーロッパの砦では、護城河に木造の跳ね橋を架け、出入りしやすいようにし、敵の侵入を防いだ。つまり護城河は防衛のための軍事構築物だ。

今日、ラサに至るまでの何重ものチェックポストが「護城河」と形容されている。防ぐ対象は漢人を主体とする中国人ではない。実際、彼らは身分証だけで問題なくラサに入れる。「緊急通知」が注意を呼びかけている通り、「護城河」が防ごうとしているのは「4大チベット・エリア」のチベット人だ。「護城河」の内側とは、「4大チベット・エリア」のチベット人が入れないラサのことなのだ。現代によみがえった「護城河」はまるで細長いガザ地区のように民族隔離の代名詞になった。チベット情勢を理解していない人であっても、「護城河」という言い方にはきな臭さを感じるだろう。

古代の護城河と違うのは、ラサを中心に設置された現代の「護城河」が公路や鉄道、空港のあらゆるチェックポストを含んでいることだ。少し前、かなりの辺境にあるミリ(現在の四川省凉山イ族自治州木里県)からラサ巡礼に出かけた僧侶がクンガ空港(ラサ)の派出所で拘束され、地元公安局と民族宗教事務委員会、僧院の証明を提出するよう求められた。しかし、これらの組織が僧侶に証明を発行することに同意した時、空港派出所はファクスによる証明の受け取りを拒否し、引き続き僧侶を追い出そうとした。僧侶は空港に3日間拘束された後、航空券を買ってラサを離れるしかなかった。

たとえば、あるチベット人が微博に書いたように、はっきりと明暗が分かれた出来事も起きた。彼のおいは漢人の同級生数人と自転車でラサに行こうとし、ダムシュン県ブマ郷の検問で止められた。漢人の同級生は簡単に通過を許されたが、このチベット人青年は友人に助けを求め、証明書を取り、セキュリティチェックを受けた。これらの面倒な手続きを経験し、ようやく恐る恐るラサに入り、気持ちが落ち着かないまま何日か過ごした。民族で区別するこうした治安維持措置は一方を優遇し、一方を強大な敵のように扱う。形を変えた民族隔離政策であり、民族集団の対立と分裂を生み出す触媒でもある。

「アパルトヘイト政策に抵抗し、人生の30年近い時間を牢獄で過ごした」という南アの元政治犯Ahmed Kathradaは次のように講演したことがある。「人種で分け、民衆の権利を奪う。支配者と同じ遺伝子を持つ新しい移住者のため、現地で数百年も暮らしてきた人たちの故郷を破壊する。司法手続きを経ないまま拘束し、人口の大部分を占める者にわずかな土地だけを与える。これが民族の隔離でなくて何だと言うのか」

彼はまた、より重要なことを話している。「もし隔離政策が続き、止めようがないのなら、少なくとも私たちは投資や経済、文化、政治の分野であなたを支持しないと言わなければならない」。チベット人の現実に照らせば、こうした分野で協力しないのは相当難しい。しかし民間ではこの数年、「ロサ拒否」「耕作ボイコット」「私はチベット人」「ラカル」(訳注)など、実質的な不服従活動が続いている。

2012年7月18日  (RFAチベット語)

(訳注)
「耕作ボイコット」……08年抗議の後、大量の逮捕者を出して働き手を失った農村が農作業をボイコットし、抗議の意思を示した。http://woeser.middle-way.net/2009/04/blog-post_04.html
を参照。
「私はチベット人」……2009年末からネットで広まったビデオ。チベット人が次々と「私はチベット人。なぜなら~」とアイデンティティーを語っていくという内容。日本語訳はhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2010-02.html#20100206

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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