チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年9月2日
第52回・チベット民主主義記念日
ダラムサラ、ツクラカンでは今朝9時から、「チベット民主主義の日」記念式典が行われた。今年で52回目。
式典にはダライ・ラマ法王もお出でになった。久しぶりということで、今日は法王の写真を多めに載せる。もっとも、明後日からティーチングが始まるので、また法王の写真を撮る機会があるということで、この先連続して法王写真が続く可能性が高い。
この「民主主義の日」というのは、1959年に法王がインドに亡命された後、翌年1960年に法王が民主的な議会を作るべきだと提案され、さっそく亡命チベット人の選挙により亡命チベット議会の議員が選ばれた。そして、その年の今日、9月2日に初めての議会が開かれたというわけだ。そして、9月2日を「チベット民主主義記念日」としたのだ。
1963年には民主的憲法も作られた。その中には「ダライ・ラマ法王を糾弾する」という権利も保証されていた。
法王の民主主義への思いは亡命前から強かったという。1950年に16歳で政権を任された後、54年には「改革委員会」という組織を作り貧しい農民等を救済し、より平等な社会機構を作ろうとされた。もっとも、これは中国の侵略を受け、思うように進まなかったが。
2001年からは首相を直接選挙により選出するようになり、法王は政治から「半ば引退」されていた。去年8月8日には全ての政治的権限を選挙で選ばれた首相に移譲し、完全に政治から引退された。これで、完全な民主主義が実現されたと言える。
世界では一般に民主主義は民衆により勝ち取られるものであり、そのために最悪、内戦等により多くの犠牲が払われることが多い。チベットの場合は自分の意思ではなかったが、ある意味で独裁的地位にあった法王が、自ら率先して民主主義を称揚し、人々の反対を押し切ってその地位から下りられたという訳だ。
王様や宗教的権威者等の特権的人物が政治を行うのは「時代遅れ」とおっしゃる。
一度も民衆の選挙で選ばれたことのない指導者たちが独裁的に国を治める中国への当てつけにもなっている。
もっとも、中には、「今はチベットの存亡がかかる大事な時期だ。強いリーダーの下に一致団結して、行動を起こすべき時だ。法王は目的を達する事無く、みんなを捨てた」という人もいる。「民主主義と一致団結は矛盾する。民主主義は目的が達成された後でいいのだ」という。
今もチベット人の至高のリーダーが法王であることには変わりない。内地のチベット人たちが熱望するのも「ダライ・ラマ法王の帰還」である。
法王は最後の一息まで、「チベットの事を放り投げる」ということは決してないとおっしゃっている。
今年、高校でもっとも優秀な成績を修めた生徒を表彰、祝福する。
「仏教は民主主義的だ。ヒンドゥー教も、ユダヤ教も、キリスト教も、神道も民主主義と共存できる。アラブの春が証明するようにイスラム教も民主主義と矛盾なく共存できる。問題は道教は民主主義を望むかということだが、台湾や韓国の例を見れば、これも共存できるということが分かる」と言ってた。
議会議長もスピーチしたが、法王は結局スピーチされなかった。これも政治から引退したからということか?
例年、この日には様々な団体、学校が踊りと歌を披露するのであるが、今年は「相次ぐ焼身」ということで歌と踊りは自粛され、ドラマスクールの人たちが「勇者を讃える歌」を歌っただけであった。
おまけ:この日、この記念式典が行われていたほぼ同時刻にヒマラヤの向こう、ラサ上空に現れたという白虹(日暈)。
そうだ、忘れてた。今日から世界中で「チベット真理のトーチリレー」が始まります。日本でもあるはずですが、詳細は未だ不明。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)