チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年8月21日
外国に焼身等の情報を流したとして指導的僧侶に7年の刑
ダラムサラ・キルティ僧院情報係り僧ロプサン・イシェと僧カニャック・ツェリンが20日、そのリリースで報告するところによれば、拘束後8ヶ月間行方不明となっていたンガバ県カシ僧院僧侶ユンテン・ギャンツォ(ཡོན་ཏན་རྒྱ་མཚོ་37)に6月18日、ンガバ人民中級法院が7年の刑を言い渡していたことが最近判明した。
罪状によれば、彼は去年10月17日にンガバ、マミー尼僧院近くで、初めての女性として焼身抗議を行い、死亡した尼僧テンジン・ワンモの焼身状況と写真を外国に伝え、また、2008年以降のチベットの状況を国連人権委員会に報告していたとされる。
彼は尼僧テンジン・ワンモ(བསྟན་འཛིན་དབང་མོ་リスト中10番)が焼身した次の日10月18日に僧院内で拘束されている。(彼が亡命側に伝えたと思われる情報は>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2011-10.html#20111018)
拘束後、地区の軍の役人は彼を成都にある四川省の秘密情報部に手渡した。成都のブンギャン(བུན་གྱང་)という場所にある拘置所内で彼は激しい拷問を受けた。その間、彼は「このような苦しみを味わうぐらいなら、いっそ死んだほうがましだ」と、何度も自殺を考えたという。8ヶ月後に再びンガバに戻され、ンガバの裁判所で7年の刑を受けた。現在、四川省のメンヤン刑務所に服役中という。
僧ユンテン・ギャンツォはンガバ県ロンツァン郷カシ村(རྔ་བ་རྫོང་བློན་ཙང་ཞང་ཁཱ་ཤིས་སྡེ་བ་)の出身。父の名はチュサム、母の名はガンガ。彼はカシ・ゲペル・サムテン・リン僧院(ཁཱ་ཤིས་དགོན་དགེ་འཕེལ་བསམ་གཏན་གླིང་ンガバ市内の北2キロ)の戒律師、読経先導師であり、また僧院宗教管理事務所の元所長でもあった。彼はまた地域の指導的教育者でありコミュニティーリーダーであった。1992年には地域の商人から寄付を集めチベット語を教えるためにカシシュル村に学校を建設した。学校でチベット語の教師も兼ねていた。また、地域の社会規律協会の会長も勤め、ンガバ一帯で、チベットの宗教、文化、言語、良き慣習を守ることに努力していた。度々知識人を集め講演会を開き、彼自身チベット人の団結と善行を訴えるためにダライ・ラマ法王の言葉を引用しながら話をすることもあったという。
参照:20日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/chediklaytsen/ukaylatsen/f42f66f62f0bf60f42fb1f74f62f0bf51f54fb1f51f0bf42f4ff58f0d/lho-yonten-gyatso-of-kirti-sentenced-to-7-year-jail-08202012160219.html
21日付けTCHRDhttp://www.tchrd.org/index.php?option=com_content&view=article&id=274:senior-monk-sentenced-to-7-years-for-sharing-information&catid=70:2012-news&Itemid=162等
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中国は焼身抗議者をテロリストと呼び、糾弾する。もしも、彼らが本当にテロリストならば、その情報を海外に流した僧ユンテン・ギャンツォは罰せられるどころか表彰されるべきではないか!?
このように、チベットからの情報は全て命がけで伝えられているのだ。これを広く世界の人々に知らせることは第一にやらねばならない支援者の道徳的義務である。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)