チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年8月18日
新たに判明したチベット人への刑、拘束
最近、亡命側に伝えられたチベット人への判決、拘束等をまとめてお伝えする。
漢語強要政策に反対するデモを行った学生2人に3年の刑
今年3月14日、レゴンにおける中学生の「言語平等、民族平等」を求めるデモ。
アムド地方では2010年に民族中学校(中高一貫)の教育メディアをチベット語から漢語に変更するという教育政策が発表された。2010年10月にはアムド各地の民族中学校の生徒たちがこの政策に反対する大規模な抗議デモを行った。この動きを見て、政府は一旦この新教育政策を見直すと発表していた。しかし、2012年の春、休みが明け、新学期が始まった時、多くの学校の教科書が突然全て漢語になっていた。これを見て、再びレゴン県、ツェコン県、ガンチャ県の中学生たちが夫々大規模な抗議デモを行った(詳しくは>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-03.html?p=2#20120315)。3月3日にマチュ中学校の生徒ツェリン・キが焼身抗議を行った。直接の原因はこの漢語強要政策にあったと思われている。(ツェリン・キの焼身については>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51738076.html)。
17日付RFA英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/sentenced-08172012161712.htmlによれば、今年3月14日にガンチャ県でこの新教育政策に反対するデモに参加した2人の学生に、最近それぞれ3年の刑期が言い渡されていたことが判明した。
タシ・ツェリン(22)とチュヤン・ゴンポ(21)はデモの4日後に拘束され、その後行方不明となっていた。家族は何十回となく警察に通い、彼らの行方を追い、面会を懇願し続けていた。7月16日にやっと面会が許可された。2人は西寧のドゥォバ刑務所にいたという。
2人は特にデモを先導したという別けではなかったというが、年齢が高く、刑期を与え易かったから選ばれたのであろうと思われている。罪状は「チベットの独立を擁護した」というものであった。
同僚の焼身に関連し5人の僧侶が拘束、行方不明に
今年に入り、ンガバ州ゲロン・ツォドゥン・キルティ僧院(རྒྱལ་རོང་མཚོ་བདུན་ཀིརྟི་དགོན་པ་)の3人の僧侶が焼身し、全員死亡している。3月30日、僧テンパ・ダルギェ(བསྟན་པ་དར་རྒྱས་22、リスト中35番)と僧チメ・パルデン(འཆི་མེད་དཔལ་ལྡན་21、リスト中36番)が一緒にンガバ州の州都バルカムの市内で焼身抗議を行った(詳しくは>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51737734.html)。7月17日には僧ロプサン・ロジン(བློ་བཟང་བློ་འཛིན་18、リスト中49番)が僧院内で焼身し、その場で死亡している(詳しくはhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51754157.html)。
ダラムサラ・キルティ僧院が伝えるところによれば、3人が焼身したのち、僧院内に銃を持った保安要員が出入りし、特に今月に入り警官がそれぞれの僧坊をしらみつぶしに捜索し、僧侶たちを詰問し、暴力を振っていたという。そして、8月12日の夜中、突然、僧ロプサン・センゲ(བློ་བཟང་སེང་གེ་19)、僧ヤーペル(ཡར་འཕེལ་18)、僧ナムセ(རྣམ་སྲས་18)が連行され、その後行方不明となった。また、8月16日の午前4時頃、僧トゥプワン・テンジン(ཐུབ་དབང་བསྟན་འཛིན་20)と僧アスン(ཨ་སྲུང་22)が連行され、彼らも行方不明。
5人とも、同僚の焼身に関わったとされ、連行されたのではないかと思われているが、明白な理由は不明である。
参照:17日付けTibet Times チベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6465
18日付けTCHRDリリースhttp://www.tchrd.org/index.php?option=com_content&view=article&id=269:tsodun-monastery-crackdown-arbitrary-detention-of-five-young-monks&catid=70:2012-news&Itemid=162
法王の写真を掲げデモを行い4年の刑、匿った女性に2年の刑
4年の刑を受けたロギャ
8月10日、ンガバ県メウルマ郷(རྔ་པ་རྫོང་རྨེའུ་རུ་མ་)で遊牧民のチュパ(24、リスト中52番)が焼身、死亡した。彼はメウルマ郷で中国の旧正月である1月23日に行われた抗議デモに参加したのち、逮捕を恐れ山に逃げていた。同じデモに参加し、デモの先頭に立ち、ダライ・ラマ法王の写真を掲げていたロギャ(ལོ་བརྒྱ་33)という男がいた。彼もデモの後、逮捕を逃れるために逃げていた。しかし、間もなくして彼は甘粛省のマチュ県メマ郷で発見され逮捕された。ンガバ州州都バルカムの警察に送られ、そこに数ヶ月拘束されている間に激しい拷問をうけたという。
ダラムサラ・キルティ僧院リリースによれば、最近バルカムの裁判所が彼に4年の刑を言い渡した。彼には妻と3人の子供がいる。家族には裁判のことはまったく知らされず、最近までまったく行方を知る事ができなかった。現在四川省のメンヤン刑務所に収監されている。
また、彼をマチュで匿ったとしてツェリン・ドゥカル(ཚེ་རིང་གདུགས་དཀར་)という女性にも2年の刑が言い渡された。
ロギャの姉ジャンパ(བྱམས་པ་38)はデモの後、1ヶ月ほど拘束されが、その間激しい拷問を受けた。彼女には3人の子供がいるが、今も拷問の後遺症が残り、普通に生活することができないままだという、
参照:16日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6453
15日付けTCHRDリリースhttp://www.tchrd.org/index.php?option=com_content&view=article&id=266:tibetan-sentenced-to-four-years-another-to-two-years&catid=70:2012-news&Itemid=162
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)