チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年8月14日
昨日ンガバで再び2人が焼身抗議 1人死亡 抗議デモを行ったチベット人1人撲殺
昨日夕方、ンガバで焼身があったという情報がツイッターやFBに流れたが、情報は錯綜していた。焼身者は2人というもの、3人というもの、その他部隊との衝突で1人が殺されたというものもあった。先ほど、この件に関するダラムサラ・キルティ僧院のリリースが発表された。これが現時点でもっとも信頼に値する情報とみなし、これを以下訳す。
2012年8月13日、現地時間午後6時50分頃、アムド、ンガバ県チュゼマ郷ソルマ村(རྔ་པ་རྫོང་ཆོས་རྗེ་མ་ཞང་སོ་རུ་མ་སྡེ་བ་)出身の俗人タシ(བཀྲ་ཤིས་21歳前後)と同じくソルマ村出身のンガバ・キルティ僧院メンパ(医学)学堂僧侶ルントック(ལུང་རྟོགས་20歳前後)が、ンガバ・キルティ僧院傍にあるマニ堂の中で身体に火を放った後、「勇者(英雄)の道(དཔའ་བོའི་སྲང་ལམ་)」に走り出て中国政府に対する抗議の声を上げた。
僧ルントックは「勇者の道」からンガバの大通りに通じる四つ角まで来たところで部隊に囲まれ、火を消され連れ去られた。(目撃者によれば)その時、彼はまだ死んでいなかったという。一方タシは四つ角までたどり着く前に囲まれ、火を消され、連れ去られた。彼がその時、死んでいたかどうかは不明。2人ともンガバの病院に運び込まれたが、30分ほど後にバルカム方面に転送された。直接目撃した人は、2人とも火傷がひどく、生きる望みはないであろうと話していた。
ルントックの父の名はリチュンというが彼は既に亡くなっている。母の名はラモ。ンガバ・キルティ僧院メンパ学堂の僧侶である。一緒に焼身したタシが僧侶であったとき2人は同じクラスで学んでいた。13日の朝、メンパ学堂本堂に僧侶たちが集まった時、僧ルントックは僧侶1人づつに1元を渡し、「チベットの全ての勇者、勇女のために祈りを捧げてほしい」と話していた。
タシの母の名はンガポ。嘗てンガバ・キルティ僧院の僧侶であったが、2011年還俗。その後、家族と共に暮らしていた。
焼身の後、直ちに周辺にいたチベット人たちが集まり、様々な抗議のスローガンを叫んだ。これを見て武装警官隊、特殊警察隊等が大挙出動し、鋲付き鉄こん棒等で群衆に襲いかかった。多くのチベット人が負傷し、逮捕、連行された者もいた。1人のチベット人は頭をこの鋲付き鉄こん棒で強く殴られ、血だらけになった。彼のその後の容態は不明。14日も警備が強化され、大量の部隊が出動している。
14日になり、僧ルントックが死亡したと伝えられた。遺体はバルカムに運ばれたという。家族に遺体が引き渡されたどうかは依然不明。
昨日、ンガバの病院で2人を目撃したという人が「1人は緊急車両の中で大きな注射をされていたのを見た。もう1人は軍車両の中に入れられており、容態は分からなかった」という。
ダラムサラ・キルティ僧院、内地連絡係り、僧ロプサン・イシェと僧カニャック・ツェリンが、2012年8月13日に記す。
参照:13日付RFA英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/immolate-08132012134204.html
同チベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/Two-Tibetans-Burn-in-Ngaba-08132012161600.html
14日付Tibet Timeshttp://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6443
14日付TCHRDリリースhttp://www.tchrd.org/index.php?option=com_content&view=article&id=265:indiscriminate-beatings-detentions-mark-two-more-self-immolations-in-ngaba&catid=70:2012-news&Itemid=162
その他、13日の午後8時ごろ、3人目の焼身があった、という情報もあるが未確認。また、頭に重傷を負ったチベット人が死亡したという情報もあるが、同じく未確認。
先週6日の月曜日から今週13日月曜日までに5人が焼身。内地焼身者の数は51人となった。
追記:亡命政府公式サイトTibet Netによれば、デモの最中鋲付き鉄こん棒で殴られたというチベット人の死亡が確認されたという。http://tibet.net/2012/08/14/police-beat-1-tibetan-to-death-after-2-burn-themselves-in-ngaba/
追記(8月15日):タシも8月14日バルカムで死亡した。遺体が家族に引き渡されたかどうかは不明。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)