チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年7月20日
ウーセル・ブログ「CCTVプロパガンダ番組内の焼身チベット人」
ウーセルさんは7月11日付けのブログで、CCTV(中国中央電視台、中国国営放送)が5月上旬に放送したチベットの焼身に関する約40分のプロパガンダ番組について論評されている。この番組は夜中に(こっそり)放送され、ある中国人は「ダラムサラでスピーチするダライ・ラマ14世の肖像や、チベット人首相ロプサン・センゲの画像、ラジオフリーアジアの『政府による鎮圧』云々の文字、さらにはチベット人の焼身現場で撮影された映像までが、中国国内では初めて流された。音声を最小に絞れば、たちまち反政府ニュース番組になるなあ」とコメントした。中国が脅しで得た焼身者の話や死んだ焼身者の嘘の供述、下劣な侮辱等はいつものこととして、聞き流せば、それなりに資料として貴重な映像、写真もあるとわたしは思った。
原文:http://woeser.middle-way.net/2012/07/cctv.html
翻訳:@yuntaitaiさん
▽上の写真はチベット人焼身抗議に関するプロパガンダ番組の映像。上からタベー、ロブサン・クンチョック、テンジン・ワンモ。
▽YouTubeに投稿された中国語版と英語版の番組。(テレビ放送時に画面隅に映る)CCTVのマークがなく、CCTVが(放送前のデータを)自ら投稿したとみられる。
※ウーセル注:3日前の7月7日、ラサのダムシュン県で、二十数歳のチベット人ツェワン・ドルジェ(ダムシュン県ダムチュカ郷チュドゥン村出身の遊牧民)が焼身抗議した。軍警に連れ去られ、現時点では生死は分かっておらず、写真もない。これにより2009年2月27日から2012年7月7日までの焼身抗議者数は、チベット本土で45人、国外で亡命者3人の計48人になった。うち8人は女性で、内訳は尼僧4人、母親3人、女子中学生1人。48人のうち35人が死亡した。12人の遺言や遺書、録音が公表されており、極めて貴重な証拠になっている。
(*トンバニ注:ウーセルさんが当ブログを発表された時点では上記の状況であった。しかし、その後7月7日に焼身のツェワン・ドルジェの死亡が確認された。また、7月17日に新たな焼身抗議があり、ンガバ州ツォドゥンで僧ロプサン・ロジンが焼身・死亡している。それにより本土焼身者の数は46人、国外の3人をいれて計49人となった。49人の内37人が死亡している)◎CCTVプロパガンダ番組内の焼身チベット人
CCTVは5月上旬、いつものやり方とは違い、声を張り上げずにもったいぶりながら、チベット人の焼身抗議に関するプロパガンダ番組を放送した。この番組は研究に値する。私はYouTubeからダウンロードし、繰り返し見て次のように分析した。
まず、2012年5月製作のこのプロパガンダ番組は焼身抗議者を13人しか取り上げていない。だが実際、2009年2月27日にンガバ(四川省アバ州アバ県)、キルティ僧院の僧タベーが焼身抗議して以来、番組完成時までにチベット本土では35人が焼身抗議した。現在の中国の行政区分では、四川と青海、甘粛の各省とチベット自治区にまたがっている。
たとえこの番組のように焼身抗議事件の発生エリアを「四川省のアバ州とカンゼ州」と限定したとしても、焼身者は28人に達する。このうちアバ州は25人、カンゼ州は3人だ。
次に、番組は主にタベーとプンツォ、ツルティム、テンニの焼身前後の事情を描いている。ツェワン・ノルブとロブサン・ケルサン、ロブサン・クンチョックについては名前を挙げ、焼身日時と場所を示している。チュペルとカヤン、ノルブ・ダンドゥル、テンジン・ワンモ、ダワ・ツェリンについては名前を出さず、現地で焼身があったという事実が示されただけだ。
また、CCTVによれば、タベーは2008年3月16日の抗議に参加せず、ほかの僧に笑われたため、頑張りを見せようと焼身したという。
しかし、6月2日付のューヨーク・タイムズはこの点を否定している。タベーは焼身2日前に「街に出て解放軍の車輌を蹴っていた」とし、仲間の僧侶は「タベーはわざと兵士を挑発しようとしていた。彼の目には軍隊への憎しみが見て取れた」と話していたという。
CCTVはまた、プンツォの父に「(息子は)思い込みが激し」く、「頭が単純」だったために焼身したと言わせた。しかし、体制側のもう一つの喉舌、新華社は昨年3月末、プンツォには「てんかんの症状」があり、「正常ではなかった」と説明していた。中国官製メディアは同一人物について、言いたいと思ったことを言っている。
番組はツルティムとテンニの焼身理由を説明する時、徹底的に2人の名誉を傷つけている。ツルティムとテンニは同時に焼身し、テンニはその場で死亡した。炎に包まれたツルティムは街頭に飛び出し、軍警に火を消された後、無理やり連れ去られ、翌日亡くなった。当局はすぐに詳細な「ツルティムの供述調書」を公開した。
重いやけどを負った身であり、世を去るまで1日しかなかったのだから、生死の境で苦しんだのは明らかだ。やけど治療の現場で働く漢人医師はツイッター上で、「負傷後のわずかな時間は話せるが、長くは続けられない。意識を失ったり、呼吸できなくなったりする。すぐにショック症状や呼吸困難などの全身症状が起きる。専門的な救命処置が得られなければ、すぐに全身の機能が衰弱する」と書いた。
私は尋ねてみた。「これほどの重傷者がはっきり理路整然といくつもの質問に答えられますか?あの供述調書は少なくとも2、3ページあり、窃盗や強盗、買春の経験を長々と話しています。捏造ではありませんか?」
医師は「それはお分かりでしょう」と含みを持たせた。
(訳注)▽CCTVの取材に応じ、「彼ら2人は私と一緒に泊まりました」と話す売春婦。
この「供述調書」で二人の焼身者が見せたのは、親戚の金銭を奪った強盗や泥棒というだけではなく、焼身前にはなんと買春もしていたという人物像だ。このためにCCTVは四川方言を話す女性に少し話をさせた。この「売春婦」とされる女性は顔にモザイクがかけられ、誰なのか全く分からない。CCTVは「売春婦」の権利を守る必要があるのだろうか?この国の官製メディアはいつから「売春婦」の権利を守るようになったのだろうか?
三つ目のポイントは、CCTVに取り上げられた13人の焼身者のうち、「救助されて生還した」と言われたチベット人が4人いたことだ。タベーとロブサン・ケルサン、ロブサン・クンチョック、ケルサン・ワンチュクだ。CCTVは病院での彼らの姿を映し出した。今後また焼身するのかどうか、彼らが回答を迫られた時、とても残酷で非人道的だとしてある外国メディア記者は激しく憤った。だが、記者の知らないことがあった。回答を強いられた焼身者には、手脚を切断された者までいたのだ。また、いわゆる「救助されて生還した」焼身者は故郷や僧院に全く戻っておらず、事実上、行方不明になっているのだ。
2012年6月30日 (RFA特約評論)
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)