チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2012年7月19日

僧ロプサン・ロジン水葬

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ダラムサラ・キルティ僧院が17日焼身・死亡の僧ロプサン・ロジンの葬儀等について発表している。それによれば、17日夜、彼は焼身者の葬儀として一般的である火葬ではなく、近くの川で水葬(チベット語ではཉ་སྦྱིན་ニャチンと呼ばれ、原意は魚供)にされたという。

17日、焼身後にバルカムから大勢の武装警官隊等が僧院に向かって来た。これを阻止しようと地域のチベット人たちはツォドゥン僧院前の橋のたもとに集結し、僧院に部隊が踏み込むのを食い止めようとした。部隊が橋まで到着し、衝突が起りそうになった時、ツォドゥン・キルティ僧院の高僧たちが中に入り、双方を説得した。部隊に対しては「もう、焼身は起ってしまったことだ。これ以上僧院や地域の人々を刺激しても何にもならない、状況が悪くなるだけだ。これから何も事件が起らないよう我々が責任を持つ。だから、これ以上先に進まないでほしい」と説得し、チベット人たちには「部隊は僧院には入らないから、もうそれぞれの家に帰ってほしい」と話した。

部隊はこれを了承し、その後川の向こう側で軍事訓練(体操)を始め、チベット人たちも家に帰り、その後僧院を訪れ、五体投地や焼香、コルラをする人が大勢いたという。街の商店も焼身した僧ロプサン・ロジンへの連帯を示すために、すべて閉店された。

僧院側は最初、火葬を行う準備をしていたという。それがなぜ水葬に変更されたのかについて報告では「様々な理由により」としか説明されていない。が、おそらく火葬にした場合、非常に大勢の人々が集まり、これが川の向こう側に陣取る部隊を刺激する可能性があると見て、水葬にしたのではないかと推測される。もちろん、水葬にも大勢の僧侶と地域の人々が同行したとは書かれている。

Losang-tsering-01僧ロプサン・ツェリン

ダラムサラ・キルティ僧院の報告にはさらに、6月26日にンガバ・キルティ僧院僧侶ロプサン・ツェリン(བློ་བཟང་ཚེ་རིང་21)が僧院から警官により連行され、今も行方不明であること、去年10月20日に連行され、長い間行方不明となっていたンガバ・キルティ僧院僧侶ロドゥ(བློ་གྲོས་36)に対し7月初め3年の刑期(罪状不明)が言い渡されたということが書かれている。

ロドゥ僧ロドゥ

先週金曜日に発表されたワシントンポストの寄稿記事の中で亡命政府首相ロプサン・センゲは「焼身の責任は中国政府のチベットに対する間違った政策にある」として「政治的弾圧、社会的差別、文化的同化、環境破壊」の悪化がその原因であると言う。「より穏健な抗議活動を禁止され、チベット人たちは政治的行動として焼身しているのだ」、焼身抗議は「中国政府が対話を通じたチベット問題の平和的解決を提案すれば即座に止まる」と述べ、さらに国際社会に対しては「中国の影響力という“雑音”を排除して、チベット人の悲鳴を聞く時が来た」とし、具体的行動を促した。

しかし、中国当局は焼身するチベット人たちをテロリストと呼び、彼らは浮浪者、罪人、精神的異常者であるとし、ダライ・ラマが焼身を煽っていると非難する。

参照:18日付けRFA英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/clash-07182012161713.html
同チベット語版http://www.rfa.org/tibetan/chediklaytsen/ukaylatsen/f42f66f62f0bf60f42fb1f74f62f0bf51f54fb1f51f0bf42f4ff58f0d/ven-lobsang-lozins-body-water-buried-07182012144206.html
19日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6322
ワシントンポスト投稿分転載 14日付けTibet Nethttp://tibet.net/2012/07/14/for-tibetans-no-other-way-to-protest/

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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