チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年7月11日
7日ダムシュンで焼身抗議ツェワン・ドルジェ 死亡
写真は全て、昨夕ダラムサラで行われた、ツェワン・ドルジェに連帯を示し、中国政府に抗議するヴィジル集会より。
チベット亡命政府のオフィシャルサイトであるTibet Netを初め多くのチベット系メディアは7月7日、ダムシュンで焼身抗議を行ったツェワン・ドルジェの死亡を伝えている。もっとも、当局の厳重な情報統制のせいで情報は依然錯綜している。
彼の名前に付いても、ツェワン・ドルジェと表記するメディアが多い一方、RFAはペマ・ドルジェ或はツェリン・ドルジェと言い、TCHRDはツェテン・ドルジェと言う。
死亡した状況に付いても、ある情報提供者は「焼身後武装警官隊がダムシュンの病院に運び、そこでその夜11時頃死亡した」と伝え、他の情報では「ダムシュンの病院では治療を行えないと言うことでラサの病院に搬送されたが、その道中に亡くなった」と言う。また、ある情報では「ラサのセラ僧院傍の武装警官隊の病院い運び込まれた。その後彼が死亡したかどうかは依然不明だ」と言う。
何れにせよ、「彼は炎に包まれながら100m走り倒れた。3、4分後に部隊が現れ火を消し、病院に運んだ」という情報と「90%の火傷を負っている」という情報が正しいとすれば、生存の可能性は薄く、危篤状態又は死亡したと思われる。ここでは亡命政府の発表に従い「死亡」とした。
その後入った情報によれば、彼は遊牧民であったが、最近はダムシュンの街中で小さな商売を行っていた。家族は母親1人だけという。
焼身した場所はダムシュンの庁舎の傍にある市民ホールの前というが、そこは人通りが多く、多くの人が目撃したという。焼身の後、当局は目撃者をほぼ全員拘束した。これは焼身の写真を撮った者がいないかどうかを確認し、写真を削除し、また目撃者の直接の証言が外部に漏れなくするためであろう。数日間或はもっと長く拘束され続けると思われる。
ダライ・ラマ法王は最近インドメディアの焼身に関する質問に対し、「これは非常に微妙な政治的問題である」とし、「もしも、(焼身抗議について)肯定的態度を示すならば、中国政府は直ちに私を非難するであろう。一方、否定的態度を示すなら、焼身者の家族は非常に悲しむことであろう。だから、ニュートラルであることがベストだ」と答えておられる。
亡命議会は今回も「中国政府がチベット人に対する弾圧政策を変更しない限り、これからもこのような焼身は続く可能性が高い。全ての責任は中国当局にある」という声明を発表している。
参照:11日付Tibet Net英語版http://tibet.net/2012/07/11/self-immolator-tsewang-dorjee-dies/
10日付Tibet Times チベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6291
10日付RFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/otherprograms/stringer/self-immolation-in-damshung-07102012104854.html
11日付TCHRD英語版http://www.tchrd.org/index.php?option=com_content&view=article&id=249:tibetan-dies-of-self-immolation-in-damshung&catid=70:2012-news&Itemid=162
9日付Gurdianhttp://www.guardian.co.uk/world/2012/jul/09/dalai-lama-neutral-on-self-immolations?newsfeed=true
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)