チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年7月4日
<続報>ジェクンドで1人のチベット人女性が焼身抗議の件
6月27日、ジェクンド(ケグド、ユシュ、玉樹)で1人のチベット人女性が焼身抗議を行ったことについては、先の6月29日付けブログで<速報>としてお伝えした。しかし、あの時点では焼身した女性の氏名、その他詳細な情報は入っておらず、100%確認された事実とは言えない状態であった。亡命チベット議会は7月2日付けのプレスリリースにおいて、この焼身事件を事実として確認したとして、やや詳細な報告をおこなっている。
以下、この議会リリース(http://chithu.org/index.php?option=com_content&view=article&id=732:2012-07-02-09-35-28&catid=72:2011-02-16-06-10-47&Itemid=173)を元に再び6月27日の焼身について報告する。
6月27日現地時間午後2時頃、ガケグド・ドゥンドゥップ・リン僧院麓にあるケグ町の市場において、約70世帯のチベット人が街頭デモを行っていた。抗議の中心は中国当局が大地震を利用してチベット人経営の飲食店の土地財産を取り上げていることに対してであった。人々は「自らの土地を自由にする権利を!自らの財産を自由にする権利を!」というスローガンを叫んだ。
このデモを行っている最中、父ツェンデ・ペマ・ドゥンドゥップの娘デキ・チュゾム、40歳前後が焼身抗議を行った。直ぐに中国の保安部隊が彼女を囲み、火を消し、運び去り、西寧の病院に収容したという。
この時、デキ・チュゾムの姉妹タシ・ヤンゾムと叔父タシ・ドゥンドゥップも前に飛び出し抗議の声を上げた。保安部隊はこの2人に激しい暴力を加え、連行しようとした。これを見た100人程のチベット人僧侶と俗人は「2人を解放しないなら、全員焼身するぞ!」と声を上げた。これにより2人は解放されたが、2人とも負傷し衰弱していたという。
デキ・チュゾムはジェクンド近郊のペルタン地区の出身。夫の名はワンダク、学校に通う息子1人と娘1人がいる。数年前にジェクンドに引っ越し、小さな商店を開いていた。
大地震に見舞われた後、当局は再開発の名の下にチベット人経営の商店、飲食店の土地や財産を強制的に取り上げ、チベットの宗教、文化を破壊し、中国人移住を奨励する政策を進めている。これにより、シェカル・タンゴ、タシ・ダルタン、タシ・コクパ、グルネガン、トプデン、スムデの6地区は特に酷い困難な状況下にある。
2010年6月22日、シンモ・ドトゥ僧院のお堂と土地が取り上げられようとした時、僧侶たちは一様に不満の意を露にした。直ぐに武装警官隊が僧院に押し掛け、30人の僧侶を拘束した。特に、有名なトゥルク・リンチェン・ツェリン・リンポチェに対して、非常な拷問が行われた。このことが地域のチベット人の間に広まり、同情を集め、チベット人団結を訴える声が高まったという。
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内地焼身抗議者の数は42人、女性は6人となった。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)