チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年6月26日
ウーセル・ブログ「消火器とアパルトヘイト」
6月24日付けウーセルさんブログ、全訳。
ウーセルさんはこの中で、ラサをはじめチベット全土で保安部隊が消化器を背負って巡回する様を「全く手を緩めずに煽動しながら、火を消す」と分析する。この部隊の姿は今のチベットの状況を象徴している。当局はチベット人を厳しく締め付け、抵抗活動を「煽動」しながら、これを弾圧することで予算、昇進などの「利益」を得ているのだ。
原文:http://woeser.middle-way.net/2012/06/blog-post_24.html
翻訳:@yuntaitaiさん
写真説明…新浪微博より。旅行者がラサで撮影した。3枚目では、黒い布で覆われた赤い消火器がかすかに見えている。
軍警が赤い消火器を背負って街中をパトロールするという特殊な光景がラサ旧市街に現れた。5月27日に2人のチベット人がジョカンとバルコル派出所の間で焼身抗議したことと関係がある。実は2009年にンガバの僧侶タベーが焼身抗議した後、チベットに駐在する軍警は消火器を配備していた。チベット全土で焼身抗議者の数が増えるにつれ、5人一組でパトロールする軍警のうち2人が消火器を背負うほどになった。
これは当局が慈悲の心を大いに発揮し、常に消火と人命救助を準備しているということだろうか?事態は全く反対で、最大級の皮肉になっている。もしチベットで「過去の歴史になかったほどの幸福」という輝かしい言葉が本当に実現されたのなら、なぜこれほど多くのチベット人が次々と炎に身を包むのか?だからラサに消火器があふれる光景は、当局が喜んで人に見せようとするものでは全くない。この光景が語るのは「全く手を緩めずに煽動しながら、火を消すポーズを見せている」という事実だ。つまり、消火器を背負いつつ火をつけるということだ。
アムドのチベット人2人によるラサでの焼身抗議は大事件であり、当局にとってはラサ以外のチベット人を追い出す一層の理由づけになった。実際、当局はほかの土地のチベット人を早くから追放していた。2008年3月には、ラサの3大僧院で学んでいたアムドとカムの僧侶を追い出し、3月10~14日の抗議を誘発した。そして抗議はチベット全土へと広がっていった。当局は後に、ほかの地区の僧侶がラサで修行することを引き続き禁止しただけではなく、一般人への制限も厳しくした。
現在の状況はあるチベット人がツイッターに書き込んでいた通りだ。「これまで何年住んでいようと、暫定居住証を持っていようと、働いていようと、アムドのチベット人はラサにはもう住めない。元の居住地の公安局や県政府が発行する担保証を持っていれば別だけど(これはすごく難しいよ)。ラサでは公安の調査が毎日あって、もう何人も追い出されたね」
ラサ旅行に来た漢人観光客もツイッターで漏らしていた。「あるブロックの黒板に書いてあったよ。『4省(四川、青海、甘粛、雲南)のチベット・エリアから来たチベット人は身分証と暫定居住証、県公安局の証明、労働契約、外出就業許可、担保書を持っていなければいけない(無い場合は政府か事務所の担保が必要)。さもなくば本籍地に送還する』だって」「大雑把に言えば生活範囲を区切り、分割統治するってことだ。小さな旧市街にはもうゲットーの雰囲気が漂ってるね」
ラサの状況はナチス時代のゲットーに似ていると言うよりも、南アフリカ共和国が20世紀に設置していた隔離地区により近いだろう。
あるチベット人は新浪微博に書き込んだ。「暫定居住証を持っていないカムのチベット人たちはみんなラサを離れないといけないし、ラサには住めない。でも漢族やほかの民族は暫定居住証を持ってなくても生活できる。これはどういう政策なんだ?」。これがアパルトヘイトのやり方ではないとでも言うのか?
別のチベット人は新浪微博に書き込んだ。「ラサのホテルに宿泊するチベット族は今日から近所の派出所に通知しなければいけない。警察は本人に会って登記しないといけない。五つ星ホテルも例外じゃなくて、僕はいま警察を待ってるんだ。チベット族にとってチベットは本当に最も不便な土地になったよ!なんて皮肉だ!」
ある漢人旅行者もツイッターに書いた。「今日ジョカンに行った。安全検査を受ける時、チベット族は登記しないといけないけど、漢族はそのまま進む。僕が通過しようとしたら、武装警察に引っぱり出された。登記しろだって!僕は漢族だって言ったのに全く信じないし、身分証を見せろだって。泣けるよ」
体験者のこうした言葉から、「漢」なのか「蔵」なのかという点こそが身分証チェックの目的だと分かる。ただ「蔵」というだけでラサはとても不便な場所になる。「漢」であればラサは楽しい遊園地になる。「蔵」と「漢」、軍警の関係からも分かるのは、チベット人はこれを避けようがなく、嫌悪感で胸がいっぱいだということだ。一方、漢人は安全だと感じ、武装警察に誘われて警備車両でドライブもできるし、治安維持の軍警とともに火鍋を食べ、酒を飲み、カラオケで歌い踊ることもできる。
「蔵」と「漢」の区別はラサの地理にまで現れている。基本的にラサの東部と西部はそれぞれチベット人居住地と漢人居住地の代名詞になっている。建築から商業、言語などで明らかな区別があり、特に軍警の密度や権利の損なわれる程度に大きな違いがある。
国連安保理は1970年代の決議で、アパルトヘイトについて「人類の良心と尊厳に対する犯罪」だと述べている。しかし、この世界はチベット全土の状況を目にし、チベットの中心都市ラサの状況を目にしているというのに、アパルトヘイトを採用していた国家と政府にかつて見せた抵抗を忘れてしまっているのではないか?
当局はアパルトヘイト方式でチベット人を徹底的に調べ上げ、排除することにより、焼身抗議を撲滅できるだろうか?今年3月30日にバルカム(四川省アバ州マルカム県)で焼身抗議した僧侶チメ・パルデンは昨年ラサを巡礼した。だが、携帯電話に尊者ダライ・ラマの写真データを保存していたため、軍警に1カ月以上拘束されたのだった。
2012年6月13日 (RFA特約評論)
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)