チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年6月19日
焼身・死亡 タムディン・タル氏の遺書
15日にチェンツァの県武装部の前で焼身し死亡したタムディン・タル氏は、遺書を残していた。
短い遺書だが、焼身の目的がはっきりと記されている。
遺書は今日付けのTibet Times より>http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6188
以下、遺書の訳:
「ラマ、守護尊、三宝に帰依いたす。世界に平和が実現されることと、ダライ・ラマ法王がチベットにご帰還されることを願い、チベットの国家が自らの領土を治めるために、私は自らの身を灯明と化し捧げる」。
なお、タムディン氏の年齢は最終的に64歳と確認された。これまでの焼身者中最高齢である。
彼の家族は数年前に政府の「遊牧民移住計画」に従い、チェンツァタン郷レワ村の牧草地帯からチェンツァ市街近くに移住させられていた。
妻チュモ・タル(54)との間に3人の子供がいた。長男のタムディン・キャップ(33)は別に所帯を持っており、長女のドルジェ・ツォ(28)は同居し、次女のブンタン・ドルジェ(20)は市内の民族中学校に通っている。タムディン氏は普段、次女の面倒を見たり、マニ堂に通ったりしていたという。
タムディン氏の葬儀は15日夕方行われた。
当局の厳しい監視にも関わらず、数千人のチベット人が哀悼と連帯を示すために参列した。
タムディン氏焼身、死亡の報を受け、ダラムサラでは夕方、哀悼と連帯を示すキャンドル・ライト・ヴィジルが行われた。
集会で彼の焼身について、チェンツァ出身のリンチェンは「彼は身体にガソリンをかけただけでなく、ガソリンを飲んでいた。また、焼身後部隊が運び去ることを阻むために、身体には鉄条網を巻き付けていたという。現在、チェンツァは緊張しており、現地の人たちは『今、電話を掛けないでほしい』と言っている」と報告した。
連帯を示す、ヴィジルはダラムサラだけでなく、インドのセトルメント各地で行われた。
亡命政府と亡命議会はそれぞれ15日中に声明を発表し、彼の死に対し「深い悲しみ」を表明するとともに、中国政府に対し「続く焼身抗議を終わらせるために、チベット人たちの真の苦しみを理解し、速やかに間違ったチベット政策を見直すこと」を強く要求した。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)