チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2012年6月17日

カム旅行記 最終回 ミニアコンカ>ダルツェンド>成都

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_DSC5760ミニアコンカ麓の雪渓で一日中遊び、暗くなって腹ぺこ、ヘトヘトになりCamp 3にたどり着く。まずは靴等ずぶ濡れのまま、杖を持ってレストランに駆け込む。いつものようにメニューはチンプンカンプンなので、厨房に入ろうとするが、これが素直に許して貰えない。いつもと違い、ちと高級なレストランだったかららしい。押し問答の末、諦めて出る。(「ここはチベットだろう、メニューぐらいチベット語で(も)書け」と言いたくなる)

宿のレストランでうまくて辛くないキノコスープを頂くことができた。このスープが今回の旅行で一番旨かった。一般に中国料理は旨いなんて言われるが、私は本土で旨い中国料理を食った経験は数えるほどしかない。私には塩と油とトンガラシが多過ぎる。中華は中国以外で食うのがよろしい。

次の日の早朝も同じようにホテルの屋上に登り、ほぼ同じような山の朝焼けを撮る。この日も腹出中年を中心に中国人アマカメラマンが30人ほど集っていた。こんなことするチベット人はいないようだった。

_DSC5777のんびりCamp2に下りる。ここには立派な温泉あり。立派過ぎて温泉代120元という。ケチな親子はまたしてもここでたじろぎ、「入るべきか、パスすべきか?」の話し合いを行う。というかこの時現金がほぼ底をついており、これに入ると残りは100元程となるのだった。その上バスローブ代、貸し水着代が30元とか、、、「なにバスローブとかパンツはなくていいじゃん」と日本人。「ここまで来て入らない訳には行かないだろう」となけなしの金をはたき入ることに。

_DSC5781源泉は相当熱いらしかった。岩サウナもある。温泉は湧いてるのにこのような芸ができないインドが情けなく思い出された。上部ほど温度が高い野外温泉池が段上に続いていた。

_DSC5790逆立ちして喜びを表す若いの。

_DSC5792朝っぱらから温泉に入る中国人はいないようで、貸し切り状態。

旅の疲れというか前日の疲れを癒す。

「カム旅行記」もこれが最終回なので、少し今回の旅の印象をまとめてみる。今回は2008年以降、そして最近も抵抗運動のニュースが続いた地域を回った。もちろん抵抗運動や焼身はンガバを中心にカム、アムド全域で行われているのだが、時間の制限もありタウ、ダンゴ、カンゼしか行けなかった。もっとゆっくり旅すれば、友人、知り合いも作れ、色んな話ができただろうと思う。

_DSC5804この辺の猿。ダラムサラ辺りの猿に比べ顔の毛が長い。

タウ、ダンゴ、カンゼともに街中の至る所で警察車両を見かけ、武装警官隊の行進にも出会った。日本はもちろんインドに比べてもその数は異常に多い。当局が脅しによりチベット人の口を塞ごうとしていることは明らかだった。それでも、チベット人の日常生活は旅行者として通りすがる限り、平常通りのようにも見えた。どんなことがあろうとも金を得るための生活は続けなければならないのだ。

_DSC5814この辺の猿も温泉好き。

外部の人間には容易に本音を話すことはない。しかし、一旦、信頼を得て部屋に入るといろいろなものを見せ、心の内を明かす。多くの人たちが法王の写真を隠し持つか、おおっぴらに部屋に飾っている。法王の法話のCDを持っている人も多い。RFAやVOAの放送を密かに聞き、チベットの内外で何が起っているのかをちゃんと知っている人が多いのには驚く。情報社会の発達が彼らの心の団結に役立っていることは確かのようだった。いくら禁止されようとも、危険と知りながらも、或はそうであるから一層カムの人々は法王の写真を守り、法王へのあこがれを募らせ、チベット人意識を高めているように感じた。

_DSC5819名前不詳の初めて見かけた花。

幹線道路は急速に整備され、中国本土から物、文化、軍隊が容易に流れ込み、チベットからは冬虫夏草、鉱物、材木、人材が本土に運ばれる。遊牧民は定住させられ、金銭至上主義の中国的物質文明社会が急速に広がっている。若い世代のチベット人たちは伝統的宗教価値観と物質文明価値観との間に挟まれ特に悩み多いのではないかと推察された。このような環境の中で、ことさらにチベット的アイデンティティーを破壊しようとする中国の政策は反って若者中心に反感を買うばかりと思われた。

_DSC5825同じ峠を越えてダルツェンドに帰る。タクシー代は後払い。

どの街でも、街を見下ろす丘には大きな僧院がある。タウ、ダンゴ、カンゼの場合は全てゲルク派。これらの僧院がチベット人を結びつける要、アイデンティティーの核であることは中国政府でなくても一目瞭然に見て取れる。法王への忠誠心が特に強いこれらの僧院が当局の弾圧のターゲットとなるのは自然だ。それに反発し、先頭に立って僧侶たちが抵抗の行動を起こすのも自然だ。

よく考えてみれば、これらは全く不要な争いなのだ。チベット人はわざわざ問題を起こし、街の人々を緊張状態の中に暮らさせたいなどとはまったく思っていない。何度も言うが、挑発行為を行っているのは中国当局なのだ。

_DSC5840ダルツェンドの街を通過し、北の景勝地ムグツォ(木格錯、野人海)に向かう。(「ムグ」とはこの辺で所謂イェティのような野人をさす言葉。沢山の美しい湖があるとされる高原)。写真は途中の民家。

中国には弾圧を促進するような軍部や役人の利害が絡んだ構造的問題がある。政府が率先した嘘・偽善と暴力が日常的文化と化してしまっている。このような悪しき文化流入に晒されながらチベット人は密かに法王の教えを聞き、それを指針として、必死に自分たちの善なる精神文化を守ろうとしている。

_DSC5842チベット・中国折衷様式の民家。

残念ながら、中国が容易にその強硬路線を変更し、態度を変えるとは思われない。弾圧が続く限り、チベット人の命がけの抵抗も終わらないであろう。

_DSC5855ムグツォの入り口というゲートに到着する。実は我々2人はこの日ムグツォに泊まる積もりだった。が、ゲートには「この先、入場料150元。バス代100元」と書いてある。その上、ムグツォには宿泊施設はないという。そんなことは手持ちのガイドブックには書いてなかった。昔とは違うのだ、今じゃすべて見事に観光化され、貧乏旅行者がてくてく歩いて湖を巡るという時代は終わっていたのだ。ついでに、湖のほとりに住んでたチベット人も全員追い出されたことだろう。

ゲートの傍にある観光案内所の入り口にはしっかり警官が数人立ってたりして、「もういいやね。帰ろうぜ」ということになった。

_DSC5876もう紹介したが、ダルツェンドの街に帰った後、夕方見かけた軍隊トラックの列。

撮った写真が見るからず、紹介できないが、この日の夕方、ダルツェンドの広場ではチベット人が大勢集まりコルシェ(輪舞)をやってた。その数500人ほど。盛大であった。この街にもチベット人がこんなにいたのかと驚くほどだった。

_DSC5887ダルツェンドから成都への道すがら、このようにサイクリングでチベットに向かう若い中国人を大勢見かけた。列を組んできつい坂をせっせと登って行く。全員完璧サイクラースタイルできめている。これも中国人チベット制服(征服)組の一種のように思えた。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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