チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年6月15日
<続報>焼身・死亡したタムディンの葬儀が行われようとしている
追加写真。炎に包まれるタムディン・タル。後ろの立て看板には「**人民武装部」と書かれている。
追加写真2(6月18日)。仏壇に置かれた彼の写真。彼の葬儀は15日の夜行われ、数千人のチベット人が追悼したという。
彼は焼身後、保安部隊に容易に運ばれないようにと、身体に鉄条網を巻き付けていたと。
追加写真。タムディン・タルが焼身した場所には、その後カタやローソクが捧げられた。
VOAhttp://www.voanews.com/tibetan/news/A-Tibetan-Normad-Dies-After-Self-immolation–159206265.html によれば、タムディンは最近、ンガバやゴロ等に巡礼に出かけていたという。そのとき、各地でチベットのために焼身した人々の話を聞いた。家に帰った後も周りの人々に、焼身者たちの話を聞かせ、「彼らはチベットのために命を捧げた勇敢な人たちだ」と焼身者を讃えていたという。
<速報>としてお伝えした後、Tibet TimesやTCHRD上に新たな情報や写真が発表されたので、これをお伝えする。
写真はすべて先ほどTibet Times
http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6170に発表されたもの。
現地時間の12時頃、遺体は遺族の関係者に引き渡された。遺族の了承を得てチェンツァで葬儀が行われようとしている。
現在、大勢の僧侶が集まり法要が行われ、チベット人たちはカタを捧げるために集結している。
彼の年齢は最初40歳と発表されたが、後にTCHRDは50歳代、Tibet Timesは60歳近くと訂正している。(追記:VOTは65歳とする)
彼は家族のほとんどが冬虫夏草の採集のために出かけた後、学校に通う1人の子供の面倒をみるためにチェンツァ市内に住んでいた。
彼は元々遊牧民で、最近政府の「遊牧民移住計画」に従いチェンツァタン郷に移住させられていたという。
参照:TCHRDリリースhttp://www.tchrd.org/index.php?option=com_content&view=article&id=239
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)