チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2012年6月12日
カム旅行記 その12 ミニアコンカ前編
持ってたガイドブック「旅行人ノート・チベット」はおそらく10年程前のもの。それによれば、ミニアコンカ・トレッキング(の積もりだった)の起点になる磨西という街に行くには、二郎山トンネルの手前まで行き、そこで、バス等を乗り継ぎ磨西に行く、か、或いはダルツェンドから歩いて行くトレッキング道もあると分かる。トレッキング道には「温泉が点在」と書かれている、が、説明はそれだけで、何日掛かるとも書いてない。若いのは「歩こうぜ」というが、距離は60キロはあると見たので、「時間が掛かりすぎるぜ」と車を選択。
乗り合いを探すが、見つからず、300元で磨西までいくという運ちゃんを見つける。だが、その運ちゃんは想定してた道路ではなく、どうもトレッキング道と書いてある方面に向かい始めた。「方向違うんじゃないか?」と聞くと、「大丈夫、今は峠を越えてそのまま行けるんだ」とのこと。歩こうかとも考えてた道に車道が開通しているらしかった。
ダルツェンド(康定)は地図の北(上)側にはみ出しているが赤線で示されている道路の北の端と思えばいい。最初の写真がちょうど赤い線の北の始まり辺りである。
そこから峠に向かう道がジクザグになってるのがわかるであろう。3900mの峠を越え、地図の右下辺りにある磨西まで車で行く。所要2時間半。天気も回復し、景色は抜群によかった。
主峰のミニアコンカは地図上、左半分の下から四分の一ほどのところ。Mt.Gongga (7556m)と書かれているところがそれだ。周りにも6000m以上の立派な山が沢山林立しているのが分かるであろう。ミニアコンカ山系には6000m以上の山が10峰以上ある。その中でもミニアコンカは他の山々から1000mほども高く、(遠くから見れば)飛び抜けて高く見える。
峠に向かい登り始めると、また新市街地開発かな?と思わせる真新しい建物群が見えてくる。 すると、そこからバンバンバン、、、と銃声が聞こえて来るではないか!
そこは*の施設であるらしかった。
これはダルツェンドの北にある山群。
「冬虫夏草培殖基地」と書かれている。「冬虫夏草」を人工的に増やしている「農?場」ということだろうか? そんなことができるとか、やってるとか、聞いた事がないが、、、ま、とにかく、この辺りで冬虫夏草を採取している人たちの群れは見かけた。この辺りが冬虫夏草生息の東端ではなかろうか。消費地である中国には一番近い場所ではある。
ダルツェンドの街中で採ったばかりの冬虫夏草の土をブラシで落としている人たちを見かけたので、「採った人は一匹(?)いくら貰えるの?」と聞くと、「30元さ」とのことだった。もちろんこれが成都等の高級店に並ぶときには一匹300元ほどになってるのだが。
中国語で雅家梗峠と書かれている3900mの峠。近日中に降ったと思われる雪が残っている。後ろはチベットの雪山。ここが、チベットと中国の国境のような気がした。
実際、この後、道は標高1000m辺りまで一気に下がり、村の家々も中国風、住んでる人も中国人がほとんどとなる。
峠の北東側に見える登れそうな山。
中国語しか分からないが、右手が田海子山6070m、左手奥が白海子山6032m。
子供は雪を見るとすぐに雪合戦を始めようとする。
峠の南、ミニアコンカ側の山。雲がなければミニアコンカが見えたと思われる。
高度が下がるとシャクナゲを沢山見る事ができた。この辺りのシャクナゲは中木であり、花の色はこのようなピンク、或は白であった。
ダラムサラやヒマラヤ南麓のシャクナゲは大木で花は真っ赤、咲く時期も2月か3月だ。この辺りは開花時期が遅いらしい。
6000m級の山々と谷。谷の下の方は1500mほど。落差は4000m以上。
河原が赤く見えて、血が流れたようで不思議な眺めだ。この後、近くで観察すると、これは石に赤いコケの一種が付着しているからだと分かった。
手持ちのガイドブックによると、これから先ミニアコンカに近づくには歩くしかないはずだった。
それで、まずは今日はここに泊まり明日歩き始めようと決める。うるさく勧誘する中国人に付いて行ってかれの宿に一旦入った。綺麗なわりには安かったが、街の外れであった。
昼食の後、トレッキングの起点と思われるゲートまで行ってみた。すると、なんとそこから道が奥に続いており、バスが出ているということが判明。地図を買うと、ちゃんと道路が書いてあり、その先にはケーブルカーも有るらしかった。バスは午後にも出ている。これを知り、直ぐに宿に引き返し、宿をキャンセルして奥に向かうことにする。
もっとも、観光化され便利になった代償に、お金は掛かるようなっていた。公園入場料が1人80元、バスが72元だった。高え~!と思ったが、ここまできて引き返すわけにも行かず、払う事にした。
街はこれからの観光ブームを当てにして新開発されたばかりという感じだった。もっとも観光客は少なく、暇そうに道ばたでこのように麻雀してる人が多かった。なぜかどこでも台を囲むのは女性ばかりで、観戦するのが男性だった。
3時と言われたバスが4時に来て、それに乗りNo3 Campと呼ばれる終点まで行く。2800mとのこと。
そこには大きめの新しいホテルが数件あった。部屋は案外安くて、100元でナイスなツインルームに入る。窓からは雪山が見えた。
日が沈むにはまだ時間があるというので、その先数キロにあるケーブルカー乗り場まで行ってみる。シャクナゲ林が続き、小川も流れる気持ちのいい道が続いていた。
その先にも「氷河展望所」という看板が出ている道があることを発見した。もっとも入り口にはまた「1人60元」と書いてあった。が、もう遅いからか誰もいない。そのまま登り始めた。
写真は途中で見かけた白いシャクヤクとその上に止まる小さなムシクイ(Warbler)の一種。ダラムサラでよく見かけるのと同じ種類と思われた。
拡大して見ないとわからないと思うが、真ん中辺りにナキウサギが写ってる。もっとも、今までみたナキウサギに比べ色が黒っぽくて、ナキウサギというよりナキネズミのように見えた。
散策道終点の氷河展望所の先で、崖に突き出してる木の上に登り、先まで行こうとして腰が抜け、へたり込んだ若いの。
下方、灰色に見えるのが氷河。この氷河は3000m付近まで続いている。最も標高の低いとこを流れる氷河の1つ。
氷河の向こうには、次の日に乗るはずのケーブルカーの鉄塔が見える。
ホテルの屋上から見た、ミニアコンカ方面の山。この日は最後まで雲が切れなかった。
この写真は拡大してみてほしい。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)